紫式部

紫式部

平安時代の代表作家

[生年〜没年] 不明〜不明

出生地不詳。
平安時代に作家として活躍し、『源氏物語』や『紫式部日記』などの作品を残した。
その多くは、一条天皇の中宮・藤原彰子に仕えているあいだに書かれたものといわれている。
父は学者・詩人の藤原為時で、紫式部も幼いころから文学の才能を発揮した。
「紫式部」は通称であり本名は不明だが、「藤原香子」とする説がある。

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