ふたつのお寺と皇居が有力。紫式部が源氏物語を執筆した場所とは

石山寺の本堂

紫式部は、長編小説『源氏物語』の筆者として知られています。
彼女は時おり場所を変えながら、数年をかけて源氏物語を完成させました。

物語の執筆地として有力なのは「石山寺」(いしやまでら)と「廬山寺」(ろざんじ)です。
さらに紫式部は天皇の妻に仕えながら、「宮中(皇居)」でも筆をとったといわれています。

執筆のアイディアが浮かんだ場所・石山寺

石山寺は、紫式部が源氏物語のアイディアをひらめいたといわれるお寺です。

紫式部が活躍した平安時代には、多くの人が石山寺の参拝に訪れていました。
梅や桜といった季節の花や紅葉、そして月が美しく見える石山寺は、とりわけ上流階級の女性たちに愛されたそうです。

紫式部も1004年に石山寺を訪れ、7日間ほど滞在しています。
その際に石山寺の美しい庭園や月を眺め、源氏物語のアイディアを得ました。
彼女は、思いついた一場面をさっそく紙に書き連ねたそうです。

源氏物語は3部構成(4部構成ともいわれる)になっており、さらに細かく54編に分けられます。
そのうち「須磨」と「明石」の章は、石山寺で書き留めた一節が活かされました。

大部分を執筆した生家の跡地・廬山寺

現存する蘆山寺は、紫式部の生家の跡地にあります。
蘆山寺は紫式部の死後に建てられたもので、彼女が直接的に足を踏み入れたことはありません。

しかし紫式部が、蘆山寺がある場所と同じ土地で源氏物語を執筆したのは確かです。
紫式部は生涯の多くを、そこにある生家で過ごしています。
幼少期はもちろん結婚後も居住しており、一人娘もその邸宅で育てました。

紫式部が源氏物語を書き始めたのは、夫と死別した1001年頃のことです。
それから宮中で働き始める1006(または1007)年までのあいだに、生家で物語の大部分を執筆したと考えられています。

連載形式で執筆していた場所・宮中

個人的に執筆をしていた紫式部でしたが、父親が天皇に仕えていたこともあり、源氏物語の存在は宮中に伝わっていました。
そこで物語が評判になると、紫式部は教養を見込まれ宮中で働くことに決まります。

彼女の役職は、天皇の妻・彰子の教育係でした。
彰子の身の回りの世話や家庭教師を務めるいっぽうで、紫式部は源氏物語の執筆を続けます。

源氏物語の評判は、紫式部が出仕してからも変わらず良いものでした。
紫式部は雑誌の連載小説のように少しずつ筆を進めたため、続きを心待ちにするファンも多かったようです。
彰子の夫である一条天皇も、紫式部と彰子の部屋を頻繁に訪ね、書き足された物語の続きを読んでいました。

源氏物語が完成した年は、はっきりと分かっていません。
しかし、紫式部が教育係から退職した1012年頃までには、連載は終わっていたとされています。

紫式部は石山寺でアイデアを得て、のちに蘆山寺となる生家や宮中で筆をとりました。

石山寺で見た景色や、生家・宮中での生活、すべてが合わさって源氏物語は完成したのだと思います。
執筆をするうえで、きっとどの場所も欠かせない存在だったのでしょうね。

この記事を書いた人

くろ

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はじめまして、くろです。下手の横好きで歴史情報をちょろちょろ集めております。収集癖がみなさんのお役に立てば幸いです。