ソ連最後の国家元首・ゴルバチョフの残した功績とは?
ゴルバチョフ
ソ連最後の国家元首となった、ミハイル・ゴルバチョフ。
ゴルバチョフの最大の功績は、東西冷戦を終結させたことです。
戦後の世界を暗く覆った東西冷戦を、ゴルバチョフは3つの改革によって終結させました。
改革は自国の経済立て直しから始まった
戦後すぐに始まった東西冷戦の中で、ソ連は一貫して東側諸国の主導的な立場を取り続けてきました。
しかし、冷戦が長期化していく中でソ連の国力は徐々に弱体化してゆくこととなります。
とくに経済の面でアメリカはもちろん1980年以降は日本の後塵をも拝する状態となり、ソ連型の国家システムは80年代に入ったころには限界を迎えてしまっていたのです。
ゴルバチョフは停滞してしまった国家を改革していくため、まず低迷を続ける経済の立て直しに着手しました。
いわゆる「ペレストロイカ」といわれる改革です。
ゴルバチョフは社会主義的な計画経済を大転換し、個人営業や協同組合の公認化を図るなど少しずつ資本主義経済の導入を行い、ソ連の経済状態を活発化させていきます。
経済の自由化の流れとともに国の政治の転換も図られ、60年以上続いたソビエト連邦共産党の一党独裁体制は少しずつ瓦解していくことにもなりました。
そしてこの流れがのちに、社会主義体制の崩壊とソ連自体の崩壊へと結びついたのです。
チェルノブイリをきっかけとした情報公開政策
ペレストロイカのさなかの1986年、国際的にも未曽有の大惨事であるチェルノブイリ原発事故が起こります。
この事故でのソ連政府の対応の遅れは被害をさらに拡大させました。
ゴルバチョフはこうした過ちを教訓として、それまでのソ連の秘密主義的な体制を転換するべく「グラスノスチ」と呼ばれる情報公開政策を行います。
国家ぐるみで様々な情報を隠していることこそが国家体制の停滞につながっていると考えたからです。
グラスノスチは言論・思想・集会・出版・報道などにも広げられ、民主化がより進むことになりました。この改革もまたソ連の社会主義体制崩壊に大きな役割を果たしたというわけですね。
斬新な外交政策でアメリカとの関係を改善
ゴルバチョフのさまざまな改革は政治体制の民主化を促すこととなり、彼の手腕は西側諸国に高く評価されるようになりました。
さらにゴルバチョフは、改革の最後の柱である「新思考外交」に着手します。
「新思考外交」は、冷戦期を通してアメリカと対立的であった従来の外交政策を大幅に転換するものでした。
政治や経済においてアメリカと協力的になることで相互に発展を促していくという、これまでのソ連の政治体制においては考えられない発想の外交政策です。
ゴルバチョフはこの政策の中で、長年にわたり硬直的であった中国との関係の正常化、東欧の民主化、核兵器の大幅な削減、そして長年アフガニスタンに駐留していたソ連軍の撤退などを行い、一挙に冷戦体制は解消されていくこととなります。
そして1989年12月、地中海のマルタ島においてゴルバチョフとジョージ・H・W・ブッシュが会談を行い、その場で正式に「東西冷戦の終結」が宣言されました。
西側諸国との関係改善に尽力し、50年近くものあいだ世界の秩序となっていた冷戦を終わらせたゴルバチョフ。
彼の功績は、ソ連が崩壊して20年以上が経過した現在でも褒め称えられ続けています。
そしてソ連の政治体制を大胆に転換させた柔軟な政策と指導力は、現在でも世界の指導者たちに大きな影響を与え続けているといえるでしょう。