作者は紫式部じゃない?源氏物語の最終章「宇治十帖」は誰が書いたのか

『源氏物語』(宇治十帖)「宿木」

紫式部は『源氏物語』の作者として有名ですね。
しかし源氏物語の一部分は、彼女が執筆したのではないという説もあります。

源氏物語は全54編で構成されている物語です。
その54編のうち、最後尾にあたる10編を「宇治十帖」(うじじゅうじょう)と呼びます。
別の作者がいるといわれているのは、この宇治十帖の部分です。

本当に宇治十帖だけは紫式部が書いたものではないのか。
作者別人説の根拠と、宇治十帖を書いたといわれる候補者をみてみましょう。

宇治十帖の作者が紫式部ではない根拠

宇治十帖が紫式部によって書かれていないとする説は、物語の内容や文体を根拠に提唱されています。

源氏物語の大部分は、主人公である光源氏の華やかな恋愛や生涯をテーマとしたものです。
いっぽう終盤にあたる宇治十帖は、光源氏の死後を描いています。

彼の息子・薫を新たな主人公とし、こちらも恋愛を中心としたストーリーです。
しかし光源氏が主人公だったパートにくらべて登場人物は少なく、人間性や心理描写に重きを置いているのが特徴となっています。

このように宇治十帖とそれ以前の44編は内容が異なっているため、作者も違うのではないかと考えられているわけです。
光源氏の生涯を書ききったところで紫式部の執筆は終了しており、後年に別の作者が続編を書き足したと推測されています。

また、文章そのものについても宇治十帖だけ著しく異なっているとの指摘もあるようです。
一文の長さ、言葉の使い方、文中に登場する和歌や心理描写の仕方などが手前の44編とは違うという見解があります。

宇治十帖の作者候補・大弐三位

宇治十帖を書いたのが紫式部以外の人物とする場合、作者の候補に挙げられているのが「大弐三位」(だいにのさんみ)です。

大弐三位は女流歌人であり、紫式部の実の娘でもあります。
紫式部と同じく中宮・彰子に仕え、その後、後冷泉天皇(ごれいぜいてんのう)の乳母も務めました。

源氏物語は皇族を中心に描かれた物語ですね。
宮中に務めた大弐三位には、物語の続きを書けるだけの知識が十分あったと考えられます。

また彼女は歌人として名を残すなど、文才にも恵まれていました。
母の後を継ぎ宇治十帖を執筆していたとしても納得できる人物です。

源氏物語の作者といえば紫式部が定説ですが、宇治十帖については「作者別人説」を挙げる声も少なくありません。

源氏物語の主人公は、宇治十帖で光源氏からその息子・薫へと変わりました。
物語の作者も同じく宇治十帖のところで紫式部から娘の大弐三位へ受け継がれた…と考えると、別人説のほうにも説得力があるように思います。

この記事を書いた人

くろ

はじめまして、くろです。下手の横好きで歴史情報をちょろちょろ集めております。収集癖がみなさんのお役に立てば幸いです。