恋仲説も?清少納言と定子の密な関係

藤原定子

清少納言は、一条天皇の后(きさき。天皇の正妻)である藤原定子(ふじわらのていし/ふじわらのさだこ)に、お世話役や家庭教師の女房として約7年間つかえました。
『枕草子』の数々のエピソードからは、このあいだに清少納言が10歳ほど年下の定子と親密な関係を築いたことがわかります。
あまりにも仲が良いため、ふたりのあいだに恋愛感情があったのではないかともいわれてきました。

定子に魅了された清少納言

はじめて出仕した清少納言と定子が出会ったころのエピソードが、『枕草子』の段のひとつ「宮仕えに参りたるころ」に書かれています。

宮仕えをはじめたころの清少納言は人前に出るのを恥ずかしがり、目立たなくてすむ夜にしか定子のところへ行けませんでした。
そこで定子は清少納言を気づかい、彼女を近くへ呼び寄せて絵を見せ、話しかけます。
ますます緊張する清少納言でしたが、薄いピンク色に染まった定子の美しい手を見て「こんな気品のある人がこの世にいるとは」と見ほれました。
定子のやさしさと高貴な美しさに、清少納言が心をつかまれた瞬間です。

急接近していく清少納言と定子

才気にあふれてさっぱりとした性格の清少納言と、聡明で明るい定子は気が合ったのか少しずつお互い認め合い親しくなったようです。

「清涼殿の丑寅の隅の」の段には、こんな話が残されています。
とある春の日、定子が女房たちに「思いつく古歌を詠みなさい」と教養テストを出しました。
清少納言は、定子の先祖である藤原良房(ふじわらのよしふさ)が詠んだ歌にある「花」という言葉を「君」(定子のこと)に変えて「君をし見ればもの思ひもなし」と詠みます。
すると定子は「古歌をうまく変えたこの機転を見たかったのよ」とほめたたえたそうです。

「無名といふ琵琶の」の段では、逆に清少納言が定子を称賛しています。
定子が女房から楽器の琵琶(びわ)の名前を尋ねられた際、その琵琶の名前「無名」を掛けて「つまらない物だから名がない(無名)のよ」とシャレで返しました。
清少納言は、そんな定子の才知を素晴らしいとほめたたえたといいます。
ふたりはユーモアの感性が合っていたようですね。

ふたりの心が通じた「香炉峰の雪」

清少納言と定子の息が最高に合ったエピソードといえば、「雪いと高う降りたるを」の段でしょう。

雪が降るある日、定子が「少納言よ、香炉峰(こうろほう)の雪は」と問いかけます。
清少納言は定子の意図を察してさっと格子(こうし。外との仕切り)をあげ、すだれを掲げました。

これは中国の有名な詩人・白居易(はくきょい)が詠んだ「香炉峰の雪はすだれをかかげてみる」という漢詩に応じた行動です。
ほかの女房たちは「この漢詩を知っていても、雪を見たいという意味だとは思わなかった」と清少納言の機転に感心しました。

ほかにも『枕草子』には、清少納言の定子への素直な思いが書き残されています。
あるとき大勢の女房がいるなか、定子が遠くにいた清少納言をわざわざ近くの席へ呼び寄せてくれたことを「うれしい」と喜んでいます。
また、あるときは定子が不在と知って「来た甲斐がない」と思うほど会えないことを残念がりました。
清少納言は定子を敬愛し、定子も清少納言を特別に思っていたことがわかりますね。

別れて知る定子の信頼と清少納言の覚悟

相思相愛の関係にあった清少納言と定子ですが、ふたりには半年以上も離れていた時期があります。

清少納言が出仕してわずか1年半後、一条天皇の中宮(天皇の正妻)としてときめいていた定子の身に不幸が襲い掛かりました。
定子の父・藤原道隆(ふじわらのみちたか)が亡くなり、兄弟の藤原伊周(これちか)らが叔父の藤原道長との権力争いに敗れ、うしろ盾を失った定子は失脚してしまったのです。
そのさなか、清少納言は同僚の女房たちから道長に寝返ったのではないかと疑われます。

このときのエピソードが、「殿などのおはしまさで後」「御前にて人々とも」の段です。
同僚からの冷たい視線に耐えかねた清少納言は宮中を出ていました。
定子からは宮仕えを促す連絡がありましたが、清少納言は戻る気になれません。

しかしそんな清少納言の心を動かしたのは、やはり定子だったようです。
あるとき定子から、当時は貴重な上質の紙20枚と、模様のあるむしろ(薄い畳のような敷物)が清少納言のもとに贈られてきます。
清少納言は自身が以前「自分は紙と白地に黒い模様のむしろがあると心が安らぐ」と言ったことを定子が覚えてくれていたことに感激しました。

さらにしばらくして、定子から山吹の花が届けられます。
花を包んだ紙には「言はで思ふぞ(いわずに心で思っています)」とだけ書かれていました。
清少納言は山吹と「言はで思ふぞ」という言葉にちなんだ古歌を連想し、次のような定子の思いに気づきます。
「何も言わないであなたのことを思っているほうが、言葉に出すよりまさっています。私はあなたを信頼しています。そばにいてください」

定子の変わらぬ自分への信頼を知った清少納言は覚悟を決め、宮仕えに戻ったのです。
定子は「新参者ですか」と清少納言をからかいながら、昔と変わらない優しさで彼女を迎え入れたのでした。

定子を支え奮闘する清少納言

定子は天皇の子を産みますが、いっぽうで複数の女性が次々と天皇の妻として宮中に入っていました。
とはいえ天皇に何人の妻がいても中宮は定子ひとりでした。

そんななか藤原道長も娘・彰子(しょうし)を天皇の妻にします。
さらに道長は強引に定子を中宮から皇后(天皇の正妻)に変え、彰子を皇后と同格の中宮にしてしまうのです。
ひとりの天皇にふたりの正妻が同時に存在するのは前代未聞のできごとでした。

そこで清少納言が定子を応援すべく奮闘したのが、「大進生昌(だいじんなりまさ)が家に宮のいでさせ給ふに」の段にあるエピソードです。

定子が住まいとした平生昌(たいらのなりまさ)邸は門が狭いために女房たちの車が入らず、清少納言は徒歩でこの邸宅に入る羽目になりました。
清少納言は「門だけでも立派にする人はいますよ」と、中国の故事を引き合いに生昌に文句を言い、その後も何かと生昌をからかいます。
こうした生昌とのやりとりを清少納言がユーモアまじえて定子に言いつけると、定子も「そこまでやっつけて気の毒に」と言いつつ、思わず笑いました。

みずからが道化になって定子を笑顔にしようという清少納言の心意気がうかがえますね。

清少納言と定子の絆の到達点

清少納言と定子ふたりの絆の到達点ともいえるエピソードが、「三条の宮におはしますころ」の段にあります。

5月5日の節句の祝いの日、定子の周囲も女房たちが飾りつけをして大にぎわいでした。
清少納言はこのとき「青ざし」という珍しい唐の麦菓子と、「定子さまをお慕(した)いしています」という意味を含んだ和歌を定子に差し出します。
珍しいお菓子と機智にとんだ歌には、好奇心旺盛で聡明な定子を喜ばせようと考えた清少納言の気持ちが込められていました。
するとその心をくみ取った定子から、「あなたこそ私の心をわかってくれているのね」という清少納言にとって最高のほめ言葉が返ってきたのです。

このとき定子は3人目の子を懐妊していましたが、藤原道長一族に配慮した世間からは歓迎されていませんでした。
そんななかでの清少納言の心づかいいに定子は気が楽になったことでしょう。

『枕草子』は、もともと苦しい状況にある定子を元気づけるために清少納言が里にいたとき書き始めたものとされています。
清少納言は定子に楽しんでもらおうと、つらいことは書かず、日々の面白いこと、華やかだった時代のことのみを書きつらねました。
清少納言と定子は『枕草子』を読んで、昔の楽しい日々を思い出したり、笑いあったりしたかのもしれませんね。

こうした清少納言の支えもあったのか、12月に定子は無事に女子を出産します。
しかし喜びもつかの間、体力が弱っていた定子は出産後しばらくして24歳の若さで亡くなりました。

ふたりは恋仲だった?

以上のように清少納言と定子の関係があまりにも親密なため、ふたりは恋仲だったという見解もあります。
たしかに清少納言は『枕草子』にて、定子の指先や「額(ひたい)のあたりが白くてとてもきれい」と定子の美しさにたびたびうっとりしています。
また「うれしきもの」の段では、「たくさんの女房がいるなか定子さまが自分に目を合わせてしゃべってくれるのがうれしい」とも。
恋する乙女の気持ちに近いとも考えられそうですよね。

「御方々公達上人(おんかたがた・きんだち・うえびと)など」の段では、定子のほうも清少納言に「私にあなたのことを思ってほしい?そのときは1番がいい?」と問いかけています。
「中宮さまに思われるのなら私は最下位でも」と答える清少納言に、「1番の人(私)に1番と思ってもらおうとしないとだめよ」と定子は返しました。
このやり取りは以前に清少納言が「自分は人から思われるのは1番でないと嫌」だといっていたことからなのですが、「私から1番に思われたい?」と聞くとは恋人どうしのような会話にも思えますね。

とはいえ清少納言も定子もそれぞれ結婚しており、身分も違うため恋愛関係にはなかったと思われます。
清少納言にとって定子は永遠のあこがれの主人であり、その思いは定子の死後も変わりませんでした。
その証拠として、定子への鎮魂の意を込めて『枕草子』を書き続けたのです。

『枕草子』の数々のエピソードから、清少納言と定子は恋人かと思われるような親密な関係だったことがみてとれます。
お互い聡明で明るい人柄のふたりは気が合ったのでしょう。

当初は定子に支えてもらった清少納言も、いつしか定子を支える存在になっていました。
実際には恋人ではなかったでしょうが、お互い大切な人どうしであり、清少納言にとっては定子が生涯ただひとりの敬愛すべき人物だったに違いありません。

この記事を書いた人

葉月ねねこ

葉月ねねこ

日本史を愛してやまないライター。とくに謎が謎を呼ぶ歴史ミステリーが大好き。歴史の魅力を多くの人と共有したいと願う。