かき氷が好物?『枕草子』から探る清少納言の好きな食べ物

清少納言は何を好んで食べていた?

清少納言の好きな食べ物が何なのかといえば、明確には不明です。
清少納言みずから『枕草子』や和歌などで自身の好物について書いていませんし、そうした物について他人が記録した文献も残されていません。
ただ『枕草子』でのさまざまな記述から、清少納言が好んだ食べ物を推測することはできます。

上品な物と賞賛したかき氷

清少納言は、夏の風物詩であるかき氷が好きだったようです。
『枕草子』に「あてなるもの」(上品、高貴な物)として削り氷(けずりひ)、いまでいうかき氷をあげています。

かき氷について清少納言は「あまづら(ツタの樹液を煮詰めて作った甘味料)の中に入れたかき氷が新品の器に入れてあるのは高貴な感じがしてうっとりする」と称賛しました。
清少納言がかき氷をこれほど評価している理由として、平安時代は氷が貴重で限られた人しか口にできなかった事情もあるでしょう。

冷凍庫も製氷機もない当時は、冬のあいだに作った天然の氷を氷室(ひむろ。山奥の穴に作られた宮中用の氷保令庫)に貯蔵し、夏になると京都まで氷を運んでいました。
氷は上流階級のみが食べられる高級品だったのです。

かき氷として味わう際は、布で氷を押さえながら小刀で削って小さな氷を切り出していました。
そのため現代のようにフワフワの氷ではなく塊の大きいザラザラの氷だったようです。
清少納言はこのぜいたく品を目と舌で味わいながら夏の涼を楽しんだのでしょう。

果物、とくにイチゴ?

平安時代、果物はおもてなしの食べ物として貴族たちに人気がありました。
清少納言も果物を好んだらしく、『枕草子』にも「つれづれなぐさむもの」(退屈をなぐさめるもの)のひとつに果物をあげてています。

具体的にはイチゴ、ウリ、ウメ、ヤマモモなどの果物で、何度も出たのがイチゴです。
『枕草子』の「あてなるもの」では幼い子が小さな口でイチゴを食べる姿が上品だと書き、「おぼつかなきもの」では暗い所で食べるイチゴは赤色の良さが見えず不安と書いています。
また「覆盆子と書くイチゴの漢字は大げさ」とも。

清少納言は独特の感性で、イチゴの姿かたちや色、名前について感想を残しました。
ここまでイチゴについて詳細に記録したのは、イチゴが清少納言のお気に入りの身近な食べ物だったからなのかもしれません。

ちなみにイチゴといっても現代のような甘くておいしい物とは違い、当時は野生の木イチゴのことでした。

天皇に褒められた思い出の餅餤

『枕草子』に登場する餅餤(へいだん)も清少納言の好物だったといわれています。
餅餤は、貴族の昇進の祝いの席などで出される唐菓子(からがし。唐から伝わった菓子)のひとつです。
ガチョウやカモの卵と野菜などを煮あわせた具を餅で包んでから四角形に切った食べ物で、現代の肉まんやハンバーガーのような軽食でした。

『枕草子』の中に、清少納言がこの餅餤を贈られる話があります。
貴族昇進の儀式に興味を持っていた清少納言のもとに、知人の藤原行成(ふじわらのゆきなり)という貴族のもとから役人を通して餅餤が贈られました。
このとき「本当は自分が持参するべきですが」という行成の文が添えられていたため、清少納言は「自分で持参しないのは冷淡(餅餤)に思われますよ」と書いた文を返します。

こうしたやり取りを知った天皇は「冷淡と餅餤をかけてうまいこと返したものだ」とその機知をほめたたえたそうです。
そのうわさを伝え聞いた清少納言は恐縮したといいます。
天皇も感嘆させたという良い思い出のある餅餤は、ひょっとすると清少納言の心に残る好ましい食べ物となったかもしれません。

楽しみな行事で出された望粥

平安時代、旧暦の1月15日にお粥を食べて邪悪な気をはらう習慣がありました。
清少納言は毎年この日を待ちわびていたといわれています。

当時は毎月15日が「望の日」と呼ばれていたことから1月15日に食べるお粥は望粥(もちがゆ)といい、小豆(あずき)の入った小豆粥を食べました。
また、粥を煮た焚き木で女性の尻をたたくと男子が生まれるという言い伝えもあり、貴族の家では尻たたきで大にぎわいだったそうです。

清少納言は『枕草子』のなかで「尻たたきを狙う人と尻をたたかれまいと気にしている人の様子がとても面白く華やかだ」と書いており、彼女もこの行事を楽しんでいたことがわかります。
そんな心おどるイベントで食べられる望粥も、清少納言は喜んで食べていたのかもしれません。

平安貴族が好んでいたほうとう

『枕草子』には、ほうとうも登場しています。
ほうとうは、太い生の麺と野菜類を味噌仕立ての汁で煮込んだ食べ物で、山梨の郷土料理としても有名ですね。
じつは平安貴族もほうとうを食べていたようです。

『枕草子』の一節に、ある貴族の家の人が僧侶にお礼として「熟瓜(ほぞち)はうとう参らせん」と声をかける場面があります。
これは「熟したマクワウリを煮てかけたほうとうを出しますので」という意味です。
ほうとうが平安貴族のおもてなし料理として好まれていたと考えられます。

ほうとうの起源として一説によれば、中国に「はくたく」という小麦粉を伸ばして煮込んだうどんがあり、それが遣唐使などを通じて日本に伝わり「はうとう」と呼ばれるようになりました。
平安時代には宴会の席で音楽に合わせてほうとうを切ることも行なわれ、なじみの深い食だったといいます。

平安の世の優雅な貴族に広まりよく食べられていた、ほうとう。
好奇心旺盛な清少納言も、中国伝来の最新トレンド料理であるほうとうをきっと口にしていたでしょう。

『枕草子』の記述から、清少納言はかき氷や果物が好物だったと考えられます。
そのほか中国から伝来した餅餤やほうとう、楽しみなイベントに欠かせない望粥なども好んで食べていたかもしれません。

これらの食べ物の味についての感想はないものの、それぞれの色や形そして文化に関心を寄せていたのも確かでしょう。
清少納言は食を総合的に楽しんでいたようです。

この記事を書いた人

葉月ねねこ

葉月ねねこ

日本史を愛してやまないライター。とくに謎が謎を呼ぶ歴史ミステリーが大好き。歴史の魅力を多くの人と共有したいと願う。