『枕草子』という作品名の意味とは?5つの説からその謎に迫る
枕草子の写本(堺本)
「春はあけぼの」から始まる、清少納言の『枕草子』。
この「枕草子」という作品名は後世の誰かが名付けたもので、意味については正確にわかっていません。
そのため意味や由来について、多くの学者達がさまざまな説を提唱してきました。
なかでも有力な説は5つあります。
引用説、しゃれ説、普通名詞説、日記帳説、歌枕説です。
これら5つの説にはそれぞれ関連がありますので、それをふまえつつご紹介します。
引用説としゃれ説
まず引用説についてです。
『枕草子』には清少納言本人が書いた「あとがき」があります。
あるとき、内大臣が、帝と中宮(皇后)・定子に、貴重な紙の束を献上しました。
定子は清少納言に「帝はこの紙に『史記』を書き写していらっしゃるの。こちらは何を書けばいいかしら」と質問します。
清少納言は「枕にしましょう」と即答します。
それを聞いた定子は「それなら、あなたにこれをあげます」と紙の束を清少納言に渡しました。
(※意訳)
このような内容が後世になって引用され、『枕草子』という作品名が付けられたと考えられています。
清少納言は定子にもらった紙の束に『枕草子』を実際に書いたといわれていますので、より信ぴょう性が高いでしょう。
ところで、ふたりの会話の内容はちょっと意味がわかりませんね。
とくに清少納言が「枕にしましょう」と答えたのは、会話としておかしく感じます。
実は一説によると、この受け答え方が「しゃれ」になっているそうなんです。
『史記』は中国の歴史書で、シキと読みます。
一般的にシキといえば敷き、敷き布団を連想させます。
そこで清少納言は、
「帝が敷き布団ならば、こちらは同じ寝具の枕にしちゃいましょう」
と答えたというわけです。
こうした解釈なら、ふたりの会話が理解できますね。
普通名詞の「枕草子」説
清少納言の「枕」という受け答えについては、別の説もあります。
「枕」はしゃれだけには留まらず、掛詞(かけことば)になっているという説です。
寝具の「枕」に掛けられた別の意味とは、「枕草子」です。
当時、「枕草子」という言葉は普通名詞として使われていました(その意味については諸説あり、後述します)。
たとえば『枕草子』と同じ時代に書かれた『栄花物語』には、
いろいろな色の錦を枕草子のように作って
(※現代語訳)
と書いてあります。
さらに『枕草子』は、作品名が後世で確立する以前では『清少納言枕草子(紙)』とも呼ばれていました。
これは「清少納言の書いた枕草子」の意味になり、「枕草子」が普通名詞だったことをうかがわせます。
つまりあとがきでの清少納言の受け答えの意味は、
「帝が『史記』を書くならば、こちらは「枕草子」を書きましょう」
となります。
日記帳説と歌枕説
前述のとおり、「枕草子」という普通名詞の意味には諸説があります。
そのなかで有力なのが「日記帳説」と「歌枕説」です。
清少納言は、これら2つのどちらかの意味を『枕草子』という作品名に込めたのではないかとも考えられています。
日記帳説では、「枕草子」は枕元に置く日記帳や備忘録のような書物という意味です。
枕元に置く草子(紙をとじ合わせて本の体裁にしたもの)なので「枕草子」。
とても自然ですね。
現代でもホテルのサイドテーブルには、メモ帳とペンが置いてあります。
そこに日々の生活や思ったことを書き残しておくイメージでしょうか。
『枕草子』のあとがきの続きで清少納言は、
わたしの心の中だけで自然と考えることを、軽い気持ちで書きつけてある
(※現代語訳)
と言っています。
『枕草子』が日記帳や備忘録として書かれていた可能性をうかがわせますね。
もう一つの歌枕説では、「枕草子」は歌枕の解説書というような意味になります。
歌枕とは和歌を詠むときのネタ(題材)のことです。
たとえば富士山をネタに和歌を詠んだとすると、「富士山」が歌枕になります。
和歌の技術が進歩していく平安時代、歌枕の辞書や解説書は貴族たちの必読書でした。
「春夏秋冬」や「かわいいもの」など、さまざまな題材に触れて感想を語る形式の『枕草子』。
これもまた、歌枕の説明を目的に書かれたものだと推測できます。
有力な証拠は、あとがきに記されている、定子が清少納言に紙の束をあげている部分。
知識人の清少納言に歌枕解説書を書いてもらえば、それを参考にして歌詠みができますね。
また『枕草子』は、定子あてに書いたものを一冊にまとめた書物ともいわれています。
清少納言が、定子のために歌枕の解説を1つ1つ行っていたのかもしれません。
『枕草子』という作品名には、さまざまな意味がありますね。
「枕」と「枕草子」を掛けた清少納言のしゃれという説や、日記帳または歌枕の解説書なんていう説もあります。
どれにも一定の信ぴょう性があり、はっきりと断定できる説は今のところわかっていません。
筆者としては「歌枕説」を推したいです。
定子は名門・藤原家に生まれ、14歳で後宮に入った、広い世界を知らない女の子。
『枕草子』には、そんな若き主のために、世の中にあるさまざまな物事の素晴らしさや、美しさ、楽しさを伝えたいという清少納言の思いが感じられます。