金遣いの荒かったバイロン。浪費家から英雄へ

ギリシャ独立戦争

イギリスの詩人「バイロン」は金遣いがとても荒い人物でした。
学生のころから好き放題にお金を使っていましたが、晩年は英雄と褒めたたえられていたようです。
今回は、浪費家バイロンが英雄になるまでのエピソードをご紹介します。

学費を湯水のように使う

バイロンが大学に進学するとき、バイロン家から渡された学費は年間500ポンド。
いまの日本円に換算すると1000万円以上にもなります。

彼はこの大金を湯水のように使ってしまいました。
ほとんどのお金が酒や女遊びに消えていったそうです。
大学には最初の1学期だけしか出席しなかったという有り様でした。

収入の大半を遊びに使い果たす

バイロンが独身時代のころ、自身のヨーロッパ大陸旅行について書いた物語詩がベストセラーになります。
多額の収入を得たバイロンでしたが、そのお金を寄付や遊びに費やしてしまいました。

その後は、現在のトルコやギリシャを舞台にしたイスラム風の物語を次々に出版。
しかしまたしても、収入の大半を酒や女に使い果たしてしまうんです。

学生時代と変わらずお金を使い続けるバイロン。
家を離れて暮らしていたこともあって、彼の借金はこの頃からドンドンふくれあがっていきました。

結婚しても金遣いは荒く…

それでもバイロンは結婚後、ロンドンの一等地に家を建てます。
素晴らしい大邸宅で、家賃はとてつもない額に昇りました。
それ以外にも別荘を買ったり、旅行や社交界にお金を使ったり…。
結婚しても金遣いの荒さはあいかわらずです。

バイロンの借金はさらにふくらんでいくことになり、ついには債権者たちが家へ押し寄せてくるようになりました。
妻は生活に耐えられなくなり、実家へと帰ってしまいます。
それでもバイロンは、押し寄せる債権者を無視しながら気ままに生活していました。
金銭的に苦しい状況にあっても慈善活動に参加したりしていたそうです。

その後バイロン夫婦の正式な別居(今で言う離婚)が成立し、二人が結婚生活を送った屋敷の家財道具はすべて差し押さえられました。
結婚してからわずか1年ちょっとでバイロンは多くの財産を失ってしまったんです。

イタリアでも豪華に暮らす

お金に困っているはずのバイロン。
しかし、その直後イタリアへ旅行に行くときも大金を使います。
旅の交通手段として、500ポンドをかけ大型馬車を調達しました。
あいかわらずの浪費家っぷりですね。

さてイタリアへ到着したころ、バイロンが売りに出していた故郷の屋敷を友人が買い取ってくれることになりました。
その額なんと、9万4500ポンド。
バイロンは借金を返済し経済的不安から解放されましたが、またしても余ったお金を使い過ぎてしまいます。

旅先のヴェネツィアでは、高額な家賃を払って派手な御殿に住んでいたそうです。
それだけではありません。
バイロンは御殿に多くの売春婦をはべらせて暮らし、さらには14人の召使い、ゴンドラの船頭、昔なじみの従僕、私生児の娘、人妻も養っていたそうです。
さらにはオオカミ、クジャク、ガチョウ、オウム、鷹、猫、馬、猿、狐、犬といった多数のペットも飼っていました。
家の外に出れば町のすてきな料亭に美人を集め、宴を開いては遊ぶ…。
イタリアでもバイロンは、派手で豪華な暮らしを送っていたというわけです。

私財を投げ売って戦争に参戦

ヴェネツィアに滞在してから数年後、バイロンは再び大金を手にします。
別居中の妻の母親が亡くなり、2500ポンドもの遺産が舞い込んできました。
バイロンはこの大金を酒や女ではなく、別のところに使います。

このころギリシャでオスマントルコからの独立戦争が勃発し、バイロンはその戦いに私財を投げ売って参戦したんです。
ギリシャへ軍資金を送ったり、弾薬、医療品を調達するなどして支援をしました。
死の直前でさえも、軍資金の督促が来るたび援助していたそうです。
次のような言葉が残されています。
「自分は全ギリシャに対し、自分がそもそも耐えうる限り繰り返して出資するつもりである。ギリシャ独立の大義を貫かねばならぬのだから」
戦争中に病気で亡くなってしまいましたが、彼は今もギリシャはもちろん母国イギリスで英雄として褒めたたえられています。

バイロンは、生涯にわたってお金を浪費してきました。
酒と女におぼれ、財産を使い尽くし、債権者に追われ…。
絵に描いたような金遣いの荒さですが、だからこそ戦争にも惜しげもなく大金を援助できたんでしょう。
もしバイロンが浪費家でなかったとしたら、ギリシャ独立戦争の英雄になっていなかったかもしれませんね。

この記事を書いた人

歴史スター名鑑 編集部

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