モモに野菜スープ、魚介、お酒も好き?卑弥呼がよく食べた物とは
卑弥呼の好物はモモ?
邪馬台国(やまたいこく)の女王・卑弥呼の好物については、記録が残されていないため謎のままです。
ただ、当時の日本人のことを書いた中国の文献や遺跡の出土物などから、卑弥呼が好きだった食べ物や、よく口にした物を推測できます。
神聖な果物とされたモモ
卑弥呼は果物のモモをよく食べていたのかもしれません。
以前、卑弥呼の宮殿があったと考えられている纏向遺跡(まきむくいせき。奈良県桜井市)から2800個もの大量のモモの種が発見されました。
科学的分析の結果それらの種は卑弥呼が女王だった時代のものと推定され、遺跡周辺にはモモ林が植えられていたこともわかっています。
つまり卑弥呼が生活していた場所では多数のモモが収穫可能だったわけですね。
ただ、これらのモモの種は出土した様子から、日常の食べ物ではなく神へのお供え物や儀式に使われる物だったと考えられています。
古代の中国では、モモには邪悪をさけ長寿をもたらす魔力があると信じられていました。
モモが伝来した弥生時代の日本各地でも、モモは果物として食べられるいっぽうで呪術(じゅうじゅつ。魔力を使う術)やお供え物としても利用されていたといいます。
そしてこのことから大量のモモが発見された纏向遺跡では盛大な儀式が行われたと推測されており、卑弥呼はモモの霊力をかなり重視していたようです。
また儀式のあとに卑弥呼と参加者が長寿を願ってモモを食したのではないかともみられています。
神に仕え神の言葉を聞き国をおさめていた卑弥呼は、より積極的にモモを食べていたのでしょう。
長寿の食べ物・菜茹
卑弥呼は「菜茹」(さいじょ)と呼ばれる、山菜や野菜を煮込んだ具だくさんの野菜スープも食べていたと思われます。
『後漢書倭伝』(ごかんしょわでん。中国の後漢のことを書いた歴史書)に「日本人は冬も夏も菜茹を食べる」との記述があるためです。
卑弥呼の生きた弥生時代では、ゴボウ、ダイコン、ニンニク、ニラ、ネギ、サトイモ、ヤマイモ、ミツバ、ショウガなどさまざまな種類の野菜や、フキ、ワラビ、ゼンマイといった山菜またはキノコ類、さらに豆類も食用として使われました。
菜茹は、そうした野菜、山菜、キノコ類を鍋がわりの土器に入れ煮込んで作ります。
調味料には中国伝来の醤(ひしお。大豆などを発酵させたペースト状の調味料で、みそやしょうゆのルーツ)が使われていたようです。
このような多くの健康的な食材を一度に食べられる菜茹は長寿食といえますね。
卑弥呼は女王として健康にも気をつかっていたと考えられ、きっと菜茹は欠かせない料理だったでしょう。
80歳前後まで長生きできたのも、そのおかげだったのかもしれません。
タイ、ハマグリなどの魚介類
弥生時代の人たちは動物の肉も食べていましたが、神につかえる卑弥呼は動物の肉はほとんど食べていなかったといわれています。
そのかわり魚介類を食べていたようです。
卑弥呼は女王の立場として、神と共食(きょうしょく。神と同じ物を一緒に食べ、その霊力を得る)していました。
なかでも神へのお供え物として定番だったのが、タイとハマグリです。
タイは弥生人も好んだ白身の魚であり、当時から高級の魚そして神にささげる魚として大切にあつかわれていました。
ハマグリは弥生時代の遺跡からいちばん多く出土している貝類で、こちらも弥生人に好まれていたことがわかります。
神様と共食する卑弥呼には、このタイやハマグリを口にする機会が多かったはずです。
大阪府立弥生文化博物館が再現した卑弥呼の食事のなかにはタイ、ハマグリの料理も存在しています。
神にささげられたお酒
卑弥呼はお酒をよく飲んでもいたかもしれません。
『魏志倭人伝』(ぎしわじんでん。中国・魏の国の歴史書)に「日本人は酒が好き」と書かれていることから、卑弥呼の時代にはすでにお酒が存在していたと考えられます。
古代人にとってお酒は人を酔わせる力のある神秘的な飲み物で、神事(神をおまつりする儀式)では御神酒(おみき)として神にささげられました。
そして神と一緒に食事をしていた卑弥呼もお神酒を飲んでいたようです。
ときにはお酒に酔い精神が高ぶった状態が、神がかり(神が体にのりうつった状態)とみなされていたといいます。
お酒は卑弥呼が神と交信するために必要なツールでもあったのでしょう。
ちなみに当時のお酒は果実酒と噛み酒(かみざけ)だったと推測されています。
果実酒とはぶどう酒のような果実から作られるお酒で、噛み酒とは人が噛んだ米を集めて作った原始的なお酒です。
どちらも現代のお酒より甘みがあったといわれています。
卑弥呼は、モモ、野菜スープ、魚介、お酒などをよく口にしていたようです。
好きな食べ物だったかはわかりませんが、神につながる存在または女王の立場として食べる機会は多かったと思われます。
意外にもこれらの食材や飲食物は現代でもなじみの深いものばかりですね。
王様でありながら神につかえる者でもあるため、あえて質素な食生活を送っていたのかもしれません。