文才が見込まれ愛人にも?紫式部と藤原道長の関係
藤原道長(『紫式部日記絵巻』)
紫式部を知る上で欠かせない人物のひとりに、藤原道長がいます。
道長は平安時代の貴族であり、政治家としても活躍しました。
紫式部にとっては教え子の父であり、『源氏物語』執筆の後援者でもあったようです。
また、紫式部と道長が愛人関係を結んでいたとする説もあります。
道長に才能を見込まれた紫式部
紫式部は源氏物語を執筆するいっぽう、宮中(天皇家が暮らす場所)で働いていました。
彼女は天皇の妻である彰子に仕え、家庭教師を務めています。
その仕事のオファーをしたのが、彰子の父である藤原道長です。
道長は、彰子に皇后として十分な教養を身につけさせるため、優秀な女性を探していました。
そこで目に留まったのが、宮中でも評判になっていた源氏物語の作者・紫式部です。
紫式部にとって道長は、教え子の父親であり、雇い主だったことになります。
また紫式部は、道長に執筆活動を支援してもらってもいました。
当時は高級品だった紙や硯をプレゼントされたり、ときには物語の続きを早く書いて欲しいと激励の手紙もあったようです。
道長が執筆を促したのは、彰子と天皇の仲を深めるためでした。
物語の続きがどんどん発表されれば、源氏物語を愛読していた天皇は、頻繁に紫式部のもとを訪れます。
すると必然的に、彼女と一緒にいる彰子とも接する機会が多くなるわけです。
もちろん道長自身が、源氏物語の熱心なファンだったともいわれています。
いずれにせよ、紫式部にとって道長は執筆活動の大きな後援者でした。
紫式部は道長の愛人だった?
紫式部には、道長と恋愛関係にあったという説が存在しています。
貴族の系譜を記録した『尊卑分脈』(そんぴぶんみゃく)という本に、その根拠があるようです。
尊卑分脈では、紫式部について「源氏物語作者」「道長妾」と記されています。
「妾」(めかけ)とは愛人のこと。
つまり紫式部は道長の愛人であったと解釈できるのですね。
しかし尊卑分脈は一部の記述の信憑性が低いと指摘されているため、紫式部と藤原道長が恋愛関係にあったとも言い切れません。
紫式部が残した『紫式部日記』には、彼女が道長のアプローチを断っていたらしい記述もみられます。
道長は「あなたはさぞ恋愛経験が豊富で、よく口説かれもするでしょう」という内容の和歌を紫式部に贈りました。
これに対し彼女は「私は誰にも惹かれておりません。心外です」と素気なく返したそうです。
紫式部日記の別の箇所では「夜に寝ていると、道長が部屋を訪ねてきて一晩中戸を叩かれた」「戸を開けていたら後悔していたでしょう」とも記されています。
もし紫式部と道長が恋愛関係であれば、せっかく訪ねてきた恋人を無視はしないでしょう。
尊卑分脈を除いて、ふたりに特別な関係があったとする記録はありません。
紫式部日記の記述もふまえれば、愛人説はあまり現実的ではないといえそうです。
紫式部からすると、道長は家庭教師の仕事をくれた雇い主でした。
また源氏物語の執筆を支援してくれる、強力なパトロンでもあったのです。
逆に道長からすれば、紫式部は娘の優秀な教育係。
そして惜しみなく支援するほどの才能をもった部下でもありました。
愛人関係にまではなっていませんが、お互いにとって重要な存在であったことは確かでしょう。