紫式部のお墓がある京都。歌人・小野篁の墓所が隣接しているワケ
小野篁
紫式部のお墓は、京都市内に存在しています。
お寺や神社が管理しているわけではない、という少々変わった墓所です。
また紫式部のお墓のとなりには、彼女と同じく歌人として活躍した小野篁(おののたかむら)のお墓も建てられています。
お墓が隣接しているのには「二人が死後に出会った」という伝説が関係しているようです。
紫式部の眠る「紫式部墓所」
紫式部のお墓の名称は「紫式部墓所」といいます。
場所は京都市北区紫野西御所田町内で、堀川北大路を下っていった道沿いです。
島津製作所という工場の敷地内にありますが、お墓のスペースは区切られており、整備された別空間になっています。
墓所は開放されているので、誰でも訪れることが可能です。
入口には「紫式部墓所」と彫られた石碑があります。
石碑の裏にムラサキシキブという植物が植えられており、季節によって花や実をつけるので景観はとても美しいです。
墓所内に設けられているのは、紫式部の墓石と石塔、顕彰碑(けんしょうひ)。
また小屋が一つ建っていて、中では紫式部の肖像画や、顕彰碑の解説を見学できます。
墓所のあるスペースは、当時の雲林院というお寺の敷地内にあたる場所でもあります。
紫式部の晩年はよく分かっていませんが、一説では雲林院というお寺で過ごしたそうです。
紫式部墓所に建つ別のお墓
紫式部墓所内には、小野篁という人のお墓も建てられています。
小野篁は平安時代の貴族で、紫式部と同じく、歌人としても活躍していました。
お墓が隣接しているというと、夫婦や恋人のように思えますよね。
しかし紫式部が生まれたのは篁が没してから120年前後が経ってからですので、ふたりに接点や面識はありません。
にもかかわらず、紫式部と篁は同じ場所に埋葬されているのです。
これには紫式部の執筆した源氏物語と、篁にまつわる伝説が深く関わっています。
源氏物語は、貴族社会の恋愛を中心とした物語です。
人々の愛欲を書いた紫式部は、ふしだらな絵空事で多くの人々を惑わせたとして、死後は地獄行きになったといわれています。
平安時代の歴史書にも記述があるので、当時から「紫式部は地獄に落ちた」と信じられていたようです。
源氏物語を愛読していた人たちは。彼女の地獄行きを心苦しく思ったのでしょう。
愛好家たちは小野篁のお墓を紫式部の墓のとなりに移動させ、彼女を救って欲しいと祈りを捧げるようになります。
なぜ篁なのかといえば、彼には生前から「あの世とこの世を行き来していた」という伝説があったからです。
篁は夜になると冥界に出向き、閻魔大王が行う裁判の補佐をしていたといいます。
ファンたちの祈りが通じたことで、篁は閻魔大王と紫式部の間に立ち大王を説得してくれたそうです。
その結果、紫式部は地獄から解放されたと信じられています。
有名な紫式部の墓所が、お寺でも神社でもない場所にあるのは「地獄行き」が決まっていたからなのかもしれません。
そんな紫式部を救うため小野篁のお墓を移動させるなんて、ファンの力にはすさまじいものがありますね。