直江兼続
直江兼続
上杉家の名家老
[生年〜没年] 1560年〜1619年
越後国(現在の新潟県)生まれ。
幼少期から上杉謙信に寵愛を受け、後継者の景勝を家老として支えた。
関ケ原の敗戦により上杉家が大減封された際も藩政の立て直しに尽力。
勉学を好み漢詩集「文選」(直江版)を出版したほか、米沢・禅林寺には藩の学問所を創設している。
江戸時代初期に病死し、後継ぎ不在のため直江家は断絶した。
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