織田信長が明智光秀に本能寺の変を起こされた理由とは?

本能寺の変

本能寺の変で、織田信長は明智光秀によって自害に追い込まれました。
信長が光秀に襲撃された理由は明確にわかっていません。
しかし有力なものとして、怨恨(えんこん)説、野望説、黒幕説、四国説があります。
4つの説を詳しくみていきましょう。

怨恨説

信長が光秀の恨みを買ったのが理由とする説です。
信長は光秀に対してさまざまな罰を与えていて、それが本能寺の変の引き金になったと考えられています。

たとえば、徳川家康の接待役をクビにしたこと。
本能寺の変の直前に光秀は家康の接待役を務めていましたが、料理の味付けが薄かったなど細かい失敗をしてしまいました。
信長はその失敗に腹を立て、光秀を接待役からクビにしたんです。
味つけが違っていただけでクビにされたわけですので、この信長の極端な対応に光秀が恨みを持った可能性は十分にありえます。

もう1つは、光秀の領地に関するもの。
信長は光秀を接待役から外したあと、光秀に対して中国地方へ出陣するよう命じます。
その際に信長は光秀の領地を没収し、代わりに敵側の勢力範囲にある土地を与えると約束しました。
つまり出陣しても敵の土地を奪うことができなかった場合、光秀は領地をすべて失うことになってしまうわけです。
信長は、光秀をわざと苦境に立たせるような命令をしたんですね。
光秀が信長に対する恨みを増幅させるのは自然な流れといえます。

野望説

光秀に天下統一を狙われていたとする説です。
本能寺の変のあと、光秀は近畿周辺の武将に対して自分に従うよう大量の手紙を送っています。
周りを自分に従わせるような行動を取っていることから、天下統一の野望があったのではと考えられるわけです。

ただ仮に天下を狙っていたのであれば、前もって親しい友人に自らの野望を打ち明け、信長を殺したあと自分の味方になるよう働きかけたほうがスムーズです。
しかし光秀が事前に行動をとった史実はないため、本能寺の変の理由を野望説とするのは難しい状況になっています。

黒幕説

本能寺の変は誰かの陰謀であるとする説です。
大きく分けて3者が黒幕と考えられていますが、いずれも信ぴょう性があまりありません。

まず1人目が徳川家康です。
信長は家康の長男を殺害しています。
その怨みを晴らすために家康が光秀を利用したのではないかとする説です。
しかし家康は本能寺の変が起きた際は大坂にいましたし、自分の周りには少数の家臣しかいない状況でした。
なんとか自分の領地には戻れたものの、その旅は非常に危険なもの。
わざわざ自分の身をさらなる危険にさらしてまで光秀に本能寺の変を起こさせたとは考えづらく、説得力はありません。

2人目は豊臣秀吉です。
本能寺の変のときあまりに行動が早かったことから秀吉が黒幕ではないかと考える説です。
本能寺の変が起こる前に中国地方で戦をしていた秀吉でしたが、本能寺の変が起きたことを知るとすぐに戦いを止めて京都へ戻りました。
戦いを止めてから京都に戻るまでの時間は非常に短かいもので、事前に本能寺の変が起こると把握していなければ難しいほどのスピードだったんです。
ただ確実な証拠がないため、この説は推測の域を出ていません。

3つ目が朝廷です。
当時、信長は伝統的な権威を否定していました。
そのような信長を排除したかった朝廷が光秀を利用して本能寺の変を起こしたというわけです。
しかし、この説には資料の解釈が誤っている部分が多く、説得力がありません。

四国説

信長の四国政策が原因とする説です。
信長は四国の長宗我部(ちょうそかべ)氏との外交を光秀に任せていました。
しかし信長は途中で方針を大きく変え、長宗我部家を攻め滅ぼすよう光秀に命令をしたんです。
急な方針転換のせいで光秀の面目は丸つぶれ。
すでに大坂には四国討伐の軍が集まっている状況でしたが、光秀は自らの面目を保つため、四国討伐軍を止めるべく本能寺の変を起こします。
この四国説は最近になって主張され始めたもので、現在も注目を集めています。

本能寺の変の理由として有力な説を4つ挙げましたが、いずれにも決定打はありません。
ただ、怨恨説と四国説をみると、信長の光秀に対する態度が大きな原因になっているとも考えられます。
部下に対しての厳しさがあだとなって、自分の首を絞めるることになってしまったのかもしれませんね。

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歴史スター名鑑 編集部

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