織田信長は平氏ではない?信長が平氏を称した背景とは

信長の先祖と考えられていた平資盛

織田信長は戦国の世の当時、平氏の子孫であると主張し「平」の姓を自称していました。

たしかに織田氏の系図では平氏の子孫が織田氏の初代とされているため、信長も平氏の一族と解釈できます。
しかし現在では、織田氏の祖先は平氏ではないとする説が有力です。

信長=平氏は常識だった?

織田信長が平氏と自称していたのは、天下統一が視野に入った1570年代のはじめごろからでした。

岐阜県郡上市にある大師堂(たいしどう)には、鰐口(わにぐち。神社・仏閣の正面につり下げた音を出す仏具)の表に「元亀2年」(1571年)、裏に「平信長」の名が刻まれています。
また、1574年に書かれた上流貴族の職員簿『公卿補任』(くぎょうぶにん)にも「平信長」という記述があることから、信長は公的な場でも平姓を称していたようです。

さらに信長が平氏の出身であることは世間でも知られていました。
1573年に兎庵(とあん)という僧が『美濃路紀行』という紀行文のなかに「信長は平重盛(しげもり)の息子の子孫」と書き残しています。

このように信長が平氏と認められていたのは、江戸時代に完成した『続群書類従』(ぞくぐんしょるいじゅう)、『系図纂要』(けいずさんよう)などの系図類がその根拠になっていたからです。
これらの系図では平清盛の長男・平重盛の子である平資盛(すけもり)を織田家の先祖とし、その経緯は以下のようなものとなっています。

1185年に平家が滅亡した際、資盛の子・親真(ちかざね。「親実」とも)は母に連れられ近江津田郷(現在の滋賀県近江八幡市)にかくまわれました。
その後、親真は越前織田荘(現在の福井県越前町)の神官の養子となり、織田劔(つるぎ)神社の神職を受け継いでいます。
こうして平氏が織田氏の祖となったわけですね。

のちに親真の子孫が越前守護(地方長官のような役職)の斯波(しば)氏に仕え、さらに斯波氏が尾張守護を兼ねると、織田氏も尾張守護代(しゅごだい。守護の代理)として越前から尾張に異動しました。
この織田氏の子孫のひとりが信長です。

信長=平氏説の疑問点

ただ、こうした「信長=平氏説」は現在では疑問視されています。

理由のひとつは、織田氏がもとは藤原氏を自称していたという点です。
劔神社に残された1393年の文書では、織田氏の祖先とされる藤原信昌(のぶまさ)や藤原将広(まさひろ、ゆきひろ)が「藤原」の姓を称しています。

信長みずからも、1549年に出した制札(せいさつ。法令などを書いて立てた札)には「藤原信長」と署名しました。
また信長の弟など織田一族の人たちも藤原を称していたとする記録が残されています。

ふたつめの理由は、平姓の根拠となっている系図がすべて信長の生きていた時代以降に作られているという点です。
これらの系図が古い史料を参考にした可能性もありますが、系図作成時の参考資料は見つかっていません。

また、織田氏が平氏の子孫であることを伝える史料は系図類のみとなっています。
藤原姓から平姓へ変えようとした信長が系図の創作を指示したとも考えられるでしょう。

改姓の背景は源平交代思想?

当時、系図を改ざんして自分の家を名家に結びつけるのは珍しいことではありませんでした。
信長が平氏へと改姓したのも、戦国時代に広まっていたとされる「源平交代思想」の影響によるものという説があります。
この思想は、武家政権は平氏と源氏が交代して支配するという考えです。

信長は、平氏を自称した1570年代はじめに京都へ進出し天下統一を目指していました。
その際、源氏である将軍・足利氏を倒して次の天下人になるのは平氏であると考え、平姓に変えたとみられています。

ただし信長が源平交代思想を知っていたかどうかは謎のままです。
貴族の藤原氏から武家の平氏に変えたいがたまに改姓したという説や、平清盛にあこがれてその姓を使うようになったとする説まであります。

忌部氏、藤原氏だった可能性も

ちなみに信長は、忌部(いんべ、いみべ)氏とも考えられているようです。
『忌部氏系図』に、前述の親真が忌部親澄(ちかずみ)の息子であると記録されています。

それによると親真は1233年に織田明神(劔神社)の神主となり、1260年に死亡しました。
劔神社の代々の神官は忌部姓が引き継ぐならわしとなっていることから、劔神社の神官だった織田氏を忌部氏と考えてもおかしくないでしょう。

なお前述の藤原氏については、信長の祖先の藤原信昌が藤原利仁(ふじわらのとしひと。平安時代に東北地方で将軍をつとめた)の子孫と考えられています。
しかしいまのところ根拠となる史料がみつかっていません。

織田信長は平氏と自称していましたが、血のつながった平氏一族ではないようです。
信長の先祖に平氏を置いた系図類は創作に近いものとみて良いでしょう。

忌部氏または藤原氏の子孫とも考えられている信長。
いずれにしても有名な家柄の出身となりますが、これもまた後世の人々の理想で作られた話なのかもしれません。

この記事を書いた人

葉月ねねこ

葉月ねねこ

日本史を愛してやまないライター。とくに謎が謎を呼ぶ歴史ミステリーが大好き。歴史の魅力を多くの人と共有したいと願う。