吉田茂はCIAのスパイだった?衝撃的な都市伝説がささやかれる理由

CIAの紋章

吉田茂は、歴代最多である5期も総理大臣を務めた大物政治家です。
とくに敗戦後の日本の主権回復や復興に大きく貢献したと、政治・歴史の専門家からも評されています。

しかし吉田はそのいっぽうで、アメリカの諜報機関「CIA」のスパイだったという都市伝説的なうわさをもつ人物でもあるのです。
その理由となっている話を3つご紹介しましょう。

日本をアメリカの支配下に置こうと画策?

第二次世界大戦で敗戦した日本は、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の占領下に置かれていました。
その状況下で総理大臣になったのが吉田茂です。

GHQに対してひるむことなく、対等にわたりあった吉田はサンフランシスコ講和条約を締結し、「戦争の終結」と「国の主権の回復」を約束させました。
この功績から吉田は、日本を独立国家として復活させた立役者とされています。

しかしサンフランシスコ平和条約が結ばれるのと同時に、ひっそりと締結された条約がもうひとつありました。
日本にアメリカの軍隊が留まることを認める、日米安全保障条約です。

サンフランシスコ講和条約には吉田を含む日本の政治家6名が調印しているのに対し、日米安全保障条約に調印したのは吉田ひとりのみでした。
つまり日米安全保障条約は、吉田が単独で結んだ条約ということになります。
この事実が「吉田はCIAのスパイだったのでは?」といううわさの一端を担っているようです。

日米安全保障条約を結んだことで、アメリカ軍の日本駐留が決定しました。
主権回復後も米軍を配備し、実質的に日本がアメリカの支配下に入るよう、スパイである吉田が画策したと考えられているわけです。

日本の国策を密告?

第二次世界大戦下では、日本やドイツを含む枢軸国側と、アメリカやイギリスを含む連合国軍が衝突した太平洋戦争が起こっています。
太平洋戦争直前の日本とアメリカは外交が上手くいっておらず、アメリカが日本への石油の輸出を全面的に禁止するなど関係が悪化していました。

そのような状況のなか、天皇も出席する「御前会議」がとり行われます。
この会議では、アメリカと関係回復に向けて交渉をすること、そしてその交渉を続ける期限が設定されました。
いっぽうで、期限を過ぎて交渉が決裂した場合は「米英に戦争をしかける」という日本の国策も決定していたのです。

吉田は御前会議での上記の内容を、アメリカの駐日大使であるジョセフ・グルーにくわしく伝えていたとされています。
日本の国家機密をアメリカ側にリークしていたのが事実であれば、吉田がCIAのスパイだと考えてもおかしくはありません。

実際に吉田はCIAとの関係を疑われ、一度逮捕されています。
しかし十分な証拠がなく、1カ月半ほどで釈放となりました。
吉田が本当にアメリカと繋がっていたかはわかりませんが、密通の容疑をかけられたことは事実なのですね。

側近がCIAと接触

総理大臣となった吉田の側近に「辰巳栄一」という人物がいます。
辰巳は陸軍に在籍していて、戦後は吉田の軍事顧問として日本の軍隊の再編制などに尽力しました。

この辰巳栄一がCIAとつながりを持っており、日本の内部情報をCIAに譲渡していたことが2009年に明らかになっています。
米国立公文書館で発見された文書に、辰巳は「POLESTAR-5」というコードネームで呼ばれ、CIAを経由してアメリカに情報を渡したと記されているのです。

辰巳がCIAに流していたのは、おもに自衛隊や内閣情報調査室の創設に関する情報だったといいます。
辰巳は吉田の側近ですから、辰巳が情報提供していることを吉田が知っていたとしても不思議ではありません。

もし情報の譲渡を黙認していたのであれば、吉田がCIAのスパイだったという話も少々リアルに感じられるのではないでしょうか。

日米安全保障条約にひとりで調印したことや、側近がアメリカへの情報提供者であったことから、吉田茂のCIAスパイ説が浮上したようです。
あくまで都市伝説レベルの話ですが、もし日本の総理大臣がCIAのスパイだったのなら、かなりショッキングな事実といえますね。

この記事を書いた人

くろ

はじめまして、くろです。下手の横好きで歴史情報をちょろちょろ集めております。収集癖がみなさんのお役に立てば幸いです。