ユーモラスでわがまま…吉田茂の性格を伝える厳選エピソード集
吉田茂とマッカーサー
吉田茂には数々の逸話があり、それらのひとつひとつに彼の性格がよく表れています。
ユーモアに富んだ一面だけでなく、傲慢でわがまま、毒舌家…という顔もうかがい知ることができるのです。
彼の性格を象徴するエピソードをくわしく見ていきましょう。
ユーモラスでジョークが得意
吉田茂は多くの人に対して、ウィットに富んだ返答やジョークを披露しており、ユーモラスな人物だったといわれています。
GHQの最高司令官であったマッカーサーも、彼のユーモアを聞いた一人です。
第二次世界大戦のあとGHQの支配下にあった日本では、深刻な食糧難が長く続いていました。
吉田はマッカーサーに「国民が餓死してしまうため、急いで食べ物の支援をしてほしい」と要請します。
マッカーサーはこれを了承したのですが、吉田が求めた450トンの食料に対し、実際に届けられたのは70トン程度。
しかし70トンの食料でも餓死は出ず、むしろ食料は余っていたようです。
マッカーサーは「450トンも必要なかったじゃないか。どんな統計をとったんだ!」と吉田に抗議しました。
すると彼は「日本の統計が正確なら、あんな戦争なんてしませんよ。したとしても勝っていたはずです」と平然と言ってのけました。
これを聞いたマッカーサーは一瞬唖然としましたが、つい笑ってしまったそうです。
イギリスのエリザベス女王にも、お洒落なユーモアを披露しています。
エリザベス女王が来日し吉田のもとを訪れた際、女王は富士山を見ることをとても楽しみにしていました。
しかし富士山には雲がかかっており、あまり綺麗には見えない状況…。
女王は「富士山にはいつも雲が多くて、全容が見えないですね」と嘆きます。
そこで吉田は「富士山は、自分より美しい人には顔を隠すのですよ」と、微笑みかけたのでした。
吉田のユーモアを耳にしたのは、マッカーサーやエリザベス女王のような有名人だけではありません。
政界引退後も吉田はしばしば記者からのインタビューを受けつつ、ユーモアを披露していました。
ある記者が、高齢になってもハキハキとしている吉田に健康の秘訣を尋ねたところ、彼は「いいものを食べていますから」と答えます。
「いいものとは?」とさらに突っ込まれると、「人を食っております」と言ってのけました。
人を食うとは、図々しい言動をしたり、人を馬鹿にしたような態度をとることです。
吉田は少々ブラックなユーモアセンスも持っていたようですね。
いかんなく発揮した傲慢とわがまま
ユーモアに富んだ人物であるいっぽう、吉田は傲慢でわがままだったという声もあります。
たとえば総理大臣就任時のエピソードがそうです。
第二次世界大戦敗戦後、日本は復興に向けて、新たな総理大臣を決める必要がありました。
吉田はその際、日本自由党という政党から総理就任を依頼されます。
はじめは「興味がない」と断っていた吉田でしたが、何度も頼み込まれたため、いくつかの条件付きで依頼を受けることにしました。
その条件の一部が「内閣の人事は自分の自由にする」「好きなときにやめる」というものだったのです。
しぶしぶ依頼を了承したとはいえ、人事には口を出させず、いつでも総理のポストを投げ出せるようにしろというのは、かなりのわがままに思えますね。
また総選挙の際には、国民に対して「頭は下げないし演説もしない」という姿勢を見せました。
結局まわりの人間に説得されて演説は行ったのですが、不愛想なうえ本当に頭は下げず、有権者と握手をすることもなかったそうです。
こうした振る舞いを吉田がとっていたのは、ほかの政治家が国民に愛嬌を振りまくるのを嫌っていたからといわれています。
しかしこれほど不愛想な態度ですと、傲慢と思われても仕方がないでしょう。
誰にも容赦ない毒舌家
吉田茂は毒舌家だった、という評価もしばしば目にします。
彼はマッカーサーに「GHQとはどういった言葉の略なのか」と質問したたことがありました。
マッカーサーに長々と説明をさせたあと、吉田はしれっと「なんだ。Go Home Quickly (とっとと帰りやがれ) の略かと思った」と言い放ちます。
つまり、GHQに対しての「早くアメリカに帰れ」という皮肉です。
マッカーサーは苦笑いしかできませんでした。
また吉田の毒舌は、政治学者にも向けられています。
終戦間もない日本では、全対戦国と和解する「全面講和」を進めるか、一部の国々と和解する「単独講和」を進めるかで意見が対立していました。
吉田は単独講和派でしたが、それに異を唱えたのが、全面講和派の政治学者・南原繁(なんばら・しげる)です。
吉田は彼を「曲学阿世の徒(きょくがくあせいのと)」だと批判しました。
曲学阿世とは、真理にそむいて時代の好みにおもねる、という意味です。
「世間にウケそうであれば、正しくない説であろうと発信し、人気取りをしようとする」と姿勢のことをいいます。
なかなか毒々しい発言ですね。
最後にご紹介するのは、吉田が議会の中で放った毒舌です。
1953年の衆議院予算委員会で、吉田は西村栄一議員との質疑応答にのぞみました。
しつこく質疑を繰り返された吉田は腹を立て、西村議員と言いあいになったすえに「バカヤロー」と発言します。
怒鳴ったり叫んだわけではなく、小声でつぶやいたものでしたが、マイクがその声を拾っていたのです。
バカヤローという言葉は大きな波紋を呼び、最終的には、衆議院が解散されるほどの事態となりました。
いわゆる「バカヤロー解散」です。
吉田の毒舌によって日本の政治は大きく動きました。
吉田茂は、ユーモアに富んでいたいっぽう「傲慢でわがまま」「毒舌家」というブラックな性格もあわせ持っていました。
さまざまな側面のある性格が魅力的に映り、長く国民に支持されることになったのかもしれません。