卑弥呼は存在しなかった?非実在説・実在説と別名説
卑弥呼の別名ともいわれる神功皇后
卑弥呼は現在も不明な点が多い人物ですが、彼女の存在そのものにまで疑惑が出てきました。
さらには卑弥呼がは架空の存在だったという説もとなえられています。
しかし現時点では卑弥呼が実在していたと考えられており、別名として存在していた可能性もあるようです。
卑弥呼は実在しなかった?
卑弥呼が実在しない人物と考えられているのは、日本の歴史書に彼女の名前がまったく登場しないからです。
たとえば『日本書紀』には卑弥呼が存在していたとされる時代以前の歴史が書かれていますが、彼女の名やそれを意味する言葉などもいっさい記述されていません。
また卑弥呼は「親魏倭王」の金印を中国からもらうほどの女王だったといわれていますが、そうした権威ある人物にまつわる史跡(遺跡)がひとつも見つかっていないのです。
そして日本では歴史上の有名人物について各地にさまざまな伝承が残されていたりしますが、卑弥呼に関する伝承もまったく存在しません。
このような「卑弥呼=非実在の人物」説のなかには、架空の人物として卑弥呼が作りあげられたと考える見解もあります。
当時の中国王朝である魏が自国の力の大きさをアピールするため、卑弥呼と邪馬台国を創作し、みつぎ物を日本から送ってきたという話も作ったというのです。
卑弥呼と邪馬台国に「卑(いや)しい」「邪道」といった軽べつするような漢字が使われているのも、日本を中国より格の低い国であると見くだすためだったといいます。
卑弥呼は実在した
しかし卑弥呼は本当に実在しなかったのかというと、正式な歴史書である『魏志倭人伝』にその名前が書かれている以上は実在したと考えるのが有力な見解です。
『魏志倭人伝』によれば、当時の邪馬台国には大きな建物が多数と、卑弥呼のために作られた巨大な墓がありました。
そして現代では、卑弥呼と同じ時代のものと思われるそうした建物や墓(古墳)が発見されています。
また卑弥呼が日本の歴史書に登場しない理由を、日本では別の名前で呼ばれていたためと考える説もいくつかあるようです。
そしてその卑弥呼の別名については、さまざまな伝説や歴史上の女性の名が候補にあげられてきました。
卑弥呼は神功皇后として実在?
卑弥呼が女王だったことから、卑弥呼を14代仲哀(ちゅうあい)天皇の皇后・神功皇后(じんぐうこうごう)と考える説があります。
神功皇后は、亡くなった天皇にかわって政治を行う女王のような存在でした。
神の声を聞く巫女のような側面を持っていたのも、卑弥呼に近い人物像といえるでしょう。
『日本書紀』の「神功皇后紀」では、卑弥呼の名前はないものの『魏志倭人伝』の記述が引用されています。
このことから『日本書紀』の作者が神功皇后を卑弥呼と考えていたのではという見解があるようです。
しかし神功皇后と卑弥呼の生きた時代には100年ちかいズレがあり、同一人物ではないとする反論も少なくありません。
卑弥呼は皇女として実在?
一節では、卑弥呼が天皇家の皇女のいずれかだったとも考えられています。
そのひとりが、11代天皇・垂仁天皇(すいにんてんのう)の皇女、倭姫命(やまとひめのみこと)です。
倭姫命は天皇家の祖である天照大神(あまてらすおおみかみ)につかえ、彼女をおまつりするため伊勢神宮を建てました。
そうした巫女としての役割が、卑弥呼に共通しているといいます。
もうひとりは、7代孝霊天皇(こうれいてんのう)または8代孝元天皇(こうげんてんのう)の皇女である倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)です。
この皇女もやはり予言をするなど巫女的な性格を持ち、またその墓所である箸墓古墳(はしはかこふん)は卑弥呼の墓とも考えられています。
卑弥呼は天皇の義姉として実在?
京都府宮津市の籠(この)神社には、神職をつとめた海部氏(あまべ)の系図が残されています。
この系図に登場する宇那比姫(うなびひめ)を、じつは卑弥呼だったとする説があるようです。
宇那比姫は6代孝安天皇(こうあんてんのう)の義理の姉であり、自分が聞いた神のお告げを義弟の天皇に告げていたといいます。
こうした関係性が、卑弥呼とその弟との関係に近いというのです。
また宇那比姫の別名のいくつかが卑弥呼を連想させるとも考えられています。
「大倭姫」(オオヤマトヒメ)という別名は倭の国を代表しているかのような名前であり、また「日女命」(ヒメミコト)という名は卑弥呼に音が近いのだそうです。
卑弥呼は天照大神として実在?
邪馬台国が九州にあったと仮定し、卑弥呼を天照大神と考える見解も存在します。
太陽をつかさどる天照大神が隠れて世界が暗くなったという神話は、卑弥呼の晩年に起きた日食をモデルにしたものといいます。
そのほか卑弥呼は、九州の一部族である熊襲(くまそ)の女性首長(トップ)だったともいわれているようです。
この首長が倭王になりすまし魏に使いをおくったと考えられています。
日本では卑弥呼が実在したという証拠はありませんし、別名の人物として存在した可能性があるにせよ決定打がないことから、非実在説が自然のようにも思えます。
とはいえ『魏志倭人伝』という強固な証拠があるため、卑弥呼は実在していたと考えるのが現代では一般的です。
今後は親魏倭王の金印などの発掘が、卑弥呼の実在・非実在を解き明かす鍵となるでしょう。