ただの家庭教師?それとも仲良し?紫式部と中宮・彰子の関係
中宮の彰子
『源氏物語』の作者として有名な紫式部。
彼女は作品を執筆しながら、中宮(天皇の妻)・藤原彰子の下で働いていました。
紫式部は、彰子の家庭教師のような存在です。
少なくとも5年以上は彰子に仕えており、彼女ととても親しかったといわれています。
彰子の家庭教師を務めた紫式部
紫式部は、女房として彰子に仕えていました。
女房は、貴族や朝廷に仕える女性使用人の役職の一つです。
基本的には主人の身の回りの雑事などをこなします。
主人がまだ幼かったり女性である場合には、家庭教師役となって教養を学ばせる役割もありました。
そのため女房には、頭の良い才女が望まれます。
源氏物語を執筆中だった紫式部は、彰子の父親に文才を見込まれ、女房役を依頼されました。
彰子に仕えることになった紫式部は、文字の読み書きをはじめ、和歌や漢文などを教えていたようです。
慣れない仕事に最初は戸惑っていたものの、少しずつ彰子と打ち解け親しくなっていきました。
彰子からもらった「紫式部」の名
ふたりの親しさを示すエピソードとして、紫式部の名前に関するものがあります。
平安時代の女性は、本名を明かさず、別名で生活するのが普通でした。
紫式部も通称ですが、この名を彼女に与えたのが彰子なのです。
源氏物語を読んだ彰子は、登場人物のひとり「紫の上」(むらさきのうえ)をとても気に入っていました。
その紫の上からとって「紫式部」という通称を考え、実際にそう呼んだといいます。
つまり自分のお気に入りのキャラクターから、紫式部にあだ名をつけたわけですね。
もし紫式部を嫌っていたり、ただの家庭教師としか思っていなければ、お気に入りのキャラクター名はつけないでしょう。
こうした点から、紫式部は彰子に好かれていたことがわかります。
日記に記した彰子への思い
彰子は紫式部を好いており、紫式部もまた彰子を慕(した)っていたようです。
紫式部は源氏物語のほかに、『紫式部日記』という作品を残しています。
そのなかで彼女は、彰子について以下のように記しました。
「つらいことも多いなかで心をなぐさめるには、こういう方(彰子)を探してでも仕えるべき」
「普段の沈んだ気持ちを忘れてしまうのは不思議だ」
彰子に仕えることで、暗い気持ちから救われていた紫式部の様子がうかがえます。
探してでも仕えたいと思うほど、彰子の存在が紫式部にとって大切だったのでしょう。
紫式部と彰子には、形式上は中宮と女房の主従関係がありました。
しかしあだ名や日記のエピソードをふまえると、主従を越えて、お互いを慕い合っていたことがわかります。
ふたりは仲むつまじく、よい関係性を築いていたのでしょうね。