「聖徳太子の地球儀」はオーパーツ?その謎にせまる

「聖徳太子の地球儀」

数々の不思議な伝説を持つ超人としても知られる聖徳太子。
そんな太子ゆかりの物として、「聖徳太子の地球儀」と呼ばれるオーパーツ(その時代に技術的に存在しえない古代の遺物)があります。
形状から地球儀とみなされているこの物体には、なんと太子が存在した7世紀には知るはずのない地球の姿が表現されているのです。

では「聖徳太子の地球儀」は太子が作ったものではないのか?
そうであるなら誰がいつ制作したのか?
オーパーツのうわさの謎にせまります。

聖徳太子ゆかりの地中石

聖徳太子が606年に建立したとされる、兵庫県太子町の斑鳩寺(いかるがでら)。
同寺は太子ゆかりの宝物をいくつか所蔵しており、そのひとつの「地中石(ちちゅうせき)」がいわゆる「聖徳太子の地球儀」です。

地中石はソフトボール大の少しいびつな球形をしていて、表面はクルミのような茶褐色でデコボコしています。
ふくらんだ部分が大陸、へこんだ部分が海を表現しているように見えるため古くから地球儀ではないかと考えられてきました。
地中石の一部には大陸名と思われる名前も書きこまれていますので、地球儀であるのは間違いないでしょう。

そして地中石は聖徳太子ゆかりの宝とされることから、いつしか太子が作った地球儀とみなされるようになりました。
しかし地中石には、太子の時代には存在しえなかった内容や技術が盛り込まれているようです。

形・材質は別時代のもの

「聖徳太子の地球儀」との呼び名が付いた地中石は球体をしており、地球が丸いことを前提にした一般的な地球儀と同じ形をしています。
ところが7世紀の飛鳥時代の日本において、地球が丸いことは知られていなかったのです。
しかもそれが世界的に証明されたのは世界一周が実現した16世紀以降であり、それまで世界地図は平面図が中心でした。

また地中石の材質を科学的に調べたところ、壁材に使われる漆喰(しっくい)で出来ており、その主成分は石灰と海藻のりだったといいます。
漆喰に海藻のりを使うようになったのは、江戸時代以降のことです。

つまり形や材質などの科学的な調査によれば、「聖徳太子の地球儀」は明らかに飛鳥時代の物ではありえないわけですね。

謎のメガラ二カ大陸の存在

「聖徳太子の地球儀」に描かれている地図そのものについても、飛鳥時代に作られたのか疑問視されています。
この地球儀にはアジア、アフリカに加えて、15世紀以降に発見されたアメリカ大陸、南極大陸が描かれているからです。

とくに注目すべきは、南極大陸を含む南半球の陸地に書き込まれた「墨瓦臘泥加」(めがらにか)の文字。
これは古代より存在を信じられていた新大陸のことを指しているといわれており、「メガラニカ」の名前が16世紀の探検家マゼランにちなんで命名されました。

日本に世界地図が伝わった1602年刊行の『坤輿万国全図(こんよばんこくぜんず)』でも、メガラ二カが描かれています。
この点でも、飛鳥時代には知られていなかった情報が「聖徳太子の地球儀」に盛り込まれているわけです。

江戸時代に作られたものか?

斑鳩寺に地中石が残っている経緯は判明していません。
ただし江戸時代末期の19世紀に作製された寺の宝物目録『常什物帳』(じょうじゅうぶつちょう)に、「地中石」の名前が残されています。
そのため地中石は17世紀から19世紀のあいだの江戸時代に作られたとする見解が有力です。

また18世紀末には日本でも、メガラニカ大陸に加えてオーストラリア大陸が描かれた世界地図が登場しています。
地中石にはオーストラリア大陸がありませんので、やはり江戸時代あたりに「聖徳太子の地球儀」が作られたといえるでしょう。

さらに近年、制作した候補者も浮上しています。
一説によれば、1712年に日本初の百科事典『和漢三才図絵(わかんさんさいずえ)』を編纂した医者の寺島良安(てらしまりょうあん)が作者だというのです。
事典に掲載された「山海輿地全図(さんかいよちぜんず)」が、地中石の地形とたいへん似ているからだとか。
山海輿地全図をまねて寺島良安以外の人が作った可能性もありますが、少なくとも江戸時代中期に作られたと考えられています。

太子は地球が丸いと知っていた!?

「聖徳太子の地球儀」は江戸時代の物である可能性が高いですが、ひとつ謎が残っています。
この地球儀の太平洋上に、1万2000年以上前に存在したとされるムー大陸らしき大陸が描かれているのです。

ムー大陸は一夜で消滅したという伝説の大陸で、存在が知られたのは20世紀になります。
前述の「山海輿地全図」にもムー大陸はありません。
江戸時代の人が知るはずのないムー大陸が「聖徳太子の地球儀」に描かれているのは大きな謎です。

しかし聖徳太子といえば、未来を予言するなど不思議な力を持つ伝説が多く存在しています。
太子の超常的な力を使えば、ムー大陸も含めた地球の姿を知ることができたのかもしれません。

実際に聖徳太子は「地球が丸い」ことを知っていたのではないかという逸話があります。
太子は幼いころ親にいたずらが見つかり、なぜ逃げないのか問われ「天に梯子(はしご)をかけても地に穴をあけても逃げきれないのでむだです」と言いました。
この受け答えが、地球が丸いため逃げきれないことを表わしたのだともいわれています。

また歴史的事実から考えても、地球球体説が聖徳太子に伝わっていた可能性があるようです。
紀元前から古代ギリシャなどではすでに球体説が普及し始めており、現存はしていませんが地球儀がすでに造られていたともいわれています。
そして西暦1世紀ころ古代ローマから中国の漢王朝に西洋の文化が伝えられた際に球体説も知られるようになり、のちに太子が中国との外交を通じて入手したというのです。

もちろんこれらの逸話・推測には科学的根拠がありません。
超人伝説をもつ太子ならば当時は未知の地球儀も作れたはず…という庶民の思いから生まれたものなのでしょうか。

「聖徳太子の地球儀」を太子が作った可能性は現在みつかっていません。
その材質や地図の内容から江戸時代に作られたとするのが有力となっています。
ただ制作者が確定していないことから、オーパーツ説を信じる人も少なくないようですね。

この記事を書いた人

葉月ねねこ

葉月ねねこ

日本史を愛してやまないライター。とくに謎が謎を呼ぶ歴史ミステリーが大好き。歴史の魅力を多くの人と共有したいと願う。