忍者の始まりは聖徳太子?政争の影の立役者「志能便」

忍者の原点のひとつ・伊賀

忍者の起源については諸説ありますが、日本ではじめて忍者を使ったのは聖徳太子という説があります。
太子が「志能便(備)」と名づけて登用した大伴細人(おおとものほそひと)が、忍者のルーツではないかというのです。

志能便は聖徳太子の政治改革で重要な役割を果たしたのみならず、太子の超人伝説の元になった可能性もあります。
ここでは太子と忍者がどのような関係にあったのか、ご紹介しましょう。

太子をかくまった?甲賀忍者の祖・大伴細人

聖徳太子と忍者のつながりについては、太子の生きた時代の記録には残されていません。
はじめて言及されたのは、江戸時代前後の忍術書『忍術應義伝』(にんじゅつおうぎでん)などです。
滋賀県の甲賀地方・馬杉(ますぎ)に住む大伴細人を、太子がいわゆる忍者として登用したといいます。
「細人」は細入(さいにゅう)とも書き、また、杉原斎入(すぎはらさいにゅう)という別名をもちました。

大伴細人の伝説によれば、あるとき細人は不思議な老人から忍術に関する巻物を与えられ、その教えを受けたそうです。
また『忍術應義伝』(にんじゅつおうぎでん)には、甲賀忍者の祖として細人の名が記述されています。

聖徳太子と大伴細人との出会いは、物部守屋(もののべのもりや)との戦いに負けた太子が甲賀に逃げ込んだときです。
このとき細人は太子の馬を杉につなぐと忍術を使って太子を隠し、追ってきた守屋に別の場所に太子がいると思わせます。
のちに太子はこの地域を「馬杉」と名づけたのでした。

スパイ活動で暗躍した志能便

それから聖徳太子は大伴細人に物部氏の調査を頼み、さらに守屋を甲賀の地におびき出させます。
守屋の討伐に成功した太子は細人の働きを評価し、「良き情報の入手を志す者」という意味の「志能便(備)」の名称を与えました。

志能便の具体的な任務は、政敵の情報や天下の情勢の収集です。
当時の表現でいうと「間者」(かんじゃ)、つまりスパイ活動がおもな役割でした。

ちなみに聖徳太子といえば、複数人の話を同時に聞いて的確にアドバイスしたことでも有名ですね。
こうした超人的な行動が可能だったのも、志能便のおかげで事前に多くの情報を知っていたことが一因だったかもしれません。
細人は太子の目となり耳となる役割を果たしたのだと思います。

聖徳太子が志能便を使ったワケ

聖徳太子が若いころの朝廷は天皇の力が弱く、激しい権力闘争が繰り広げられていました。
物部VS蘇我の豪族同士の内乱、さらに天皇が蘇我馬子に暗殺されるなど、皇族である太子といえども、その身は安泰ではなかったのです。
太子は闘争を勝ち抜くために、まず敵の情報を知ることが必要であると考えます。

そこで登用されたのが志能便だったのです。
聖徳太子は志能便に朝廷内の不穏な動きや政敵の動向を調査させ、敵の情報を把握しました。

推古天皇が即位すると、これを補佐する摂政の座についた聖徳太子は物事を決断する立場になります。
ここでも太子は細人を使って国内状況や民衆感情を把握し、政治や訴訟判断の参考にしました。

こうした背景には外国の影響もあったのかもしれません。
中国や朝鮮では早くから兵法書『孫子』(そんし)において、情報入手が忍術の重要任務であると記述されていました。
『日本書紀』では、百済から「遁甲術」(とんこうじゅつ)と呼ばれる忍術の一種が伝えられたこと、新羅の間諜(うかみ)と呼ばれるスパイを対馬で捕えたことが記録されています。
当時、積極的に大陸文化を取り入れていた聖徳太子は、忍者やスパイ活動による情報収集の重要性も実感していたのではないでしょうか。

そのほかの志能便たち

聖徳太子は、秦河勝(はたのかわかつ)という人物と服部氏の一族も志能便に登用していたようです。

秦氏は大陸から渡来した豪族で土木工事を手がけたことで有名ですが、各地の祭礼などで芸能の披露や露店の出店といった商業活動にも従事していました。
秦氏の商業活動は東日本にまでおよんでいたともされ、各地で集めた情報を太子に報告していたようです。
そうした秦氏のリーダーだった河勝は、聖徳太子のブレーン的な存在でもあったといわれています。

服部氏は秦氏の一族で三重県の伊賀地方に移り住み、伊賀や伊勢(いせ。みえけん)の神社に仕えました。
聖徳太子は伊賀や伊勢の情報を服部氏に集めさせ、服部氏はのちの伊賀忍者の祖にまでなったといいます。
もし事実であれば、太子は甲賀忍者と伊賀忍者の両方の祖をつくったと考えられますね。

じつはこの時代、聖徳太子だけでなく蘇我馬子も忍者を使っていたとする説があります。
ただし馬子が使ったのは政敵の暗殺者。
崇峻天皇(すしゅんてんのう)を殺した東漢直駒(やまとのあたいあやのこま)が、そのひとりでした。

聖徳太子が大伴細人などを志能便として使ったのは、まさに忍者のルーツ的な出来事といえるのではないでしょうか。
忍びの者たちの活躍があったからこそ太子は政争を勝ち抜き、また不思議な超人伝説をも残せたのかもしれません。

この記事を書いた人

葉月ねねこ

葉月ねねこ

日本史を愛してやまないライター。とくに謎が謎を呼ぶ歴史ミステリーが大好き。歴史の魅力を多くの人と共有したいと願う。