湯漬けに焼き味噌、甘いものも大好き。織田信長の好物まとめ
信長の好物「堂上蜂屋柿」(どうじょうはちやがき)
織田信長はいろいろな食べものを好んでおり、湯漬け(ゆづけ)や焼き味噌(みそ)をはじめ好物にまつわるエピソードが多数あります。
信長の厳格な印象からは想像がつかないかもしれませんが、かなりの甘党(あまとう)だったようです。
大好物の湯漬けと焼き味噌
「湯漬け」とは、ごはんにお茶ではなくお湯をかけただけのものです。
出陣前の信長が立ったまま湯漬けをかきこむシーンはドラマなどでよく見られますね。
信長は重要な局面に際して、とりわけ玄米にお湯をかけた湯漬けを好んで食べていたといわれています。
また湯漬けは当時から少し濃い味のおかずを添えて食べることが多く、信長は焼き味噌と一緒に湯漬けを食べていたようです。
「焼き味噌」とは味噌にネギやショウガを加えて練り酒を加えて焼いた料理で、信長の焼き味噌にはは東海地方特産の豆味噌が使われていました。
湯漬けは流し込むようにサッと食べられるうえに、胃もたれもなく適度な腹ごしらえができます。
さらに焼き味噌と一緒に食べれば、お米や豆味噌のたんぱく質によるエネルギーも効率よく摂取できるでしょう。
せっかちで合理的な性格の信長にふさわしい「勝負めし」といえますね。
褒美や贈りものにも使った干し柿
こわい印象もある織田信長には、甘いものが好きという意外な一面がありました。
信長の大好物の甘いものといえば、ドライフルーツの「干し柿」(ほしがき)です。
とくに美濃(岐阜県)の名産である、「堂上蜂屋柿」という干し柿を愛していたといわれています。
この干し柿は平安時代から「蜜より甘い柿」とたたえられ、天皇や権力者に献上されてきました。
また信長は自分の大好きな干し柿を、褒美(ほうび)や贈りものにも使っていたようです。
ルイス・フロイスなどキリスト教布教のため来日した外国人たちにも干し柿をふるまいました。
彼らは干し柿を知らなかったためか「干しイチジク」と記録に残しています。
ほかには戦いで活躍した家臣に自分が使っていた南蛮笠(南ヨーロッパ製の帽子)と干し柿5つを褒美として与えたり、信長のもとへあいさつに来た少年に10個以上の干し柿をプレゼントしたことも。
信長は身近に干し柿を常時ストックしていたようですね。
甘い和菓子も好物
織田信長は和菓子もかなり好きでした。
そのひとつが「ふりもみこがし」と呼ばれる、焼いた麦やそば粉を粉にし、はちみつなどを加えて作る菓子です。
信長は、この和菓子が好きすぎてみずから手作りしてふるまったこともあります。
徳川家康の家臣・松平家忠(まつだいらいえただ)の日記によれば、あるとき徳川家康を安土城に招待した信長が家康のために「ふりもみこがし」を手作りしたそうです。
また江戸時代の文献(『昨日は今日の物語』)からは、信長が団子(だんご)も好きだったことがわかります。
京都の民衆が「上様団子」とおもしろがるほど、信長は団子をよく食べていたようです。
ちなみに信長の好物の団子は、米粉で作られ竹串に刺してあるものでした。
西洋の金平糖やパンに興味
新しいものが好きな信長は、南蛮から来たお菓子にも興味を持っていたようです。
ルイス・フロイスが信長に砂糖菓子「コンフェイト」(現在の金平糖(こんぺいとう))を献上したところ、信長は気にいって何度も取り寄せるようになったといいます。
当時の金平糖は中身がゴマになっていて、角がなくゴツゴツした白色のものでした。
また信長は、パンを最初に食べた日本人ともいわれています。
そのパンとはポルトガルの宣教師たちが献上した「ビスコート」と呼ばれるもので、甘くて固いビスケットのような菓子です。
信長はビスコートも気にいり、大阪の堺から取り寄せていました。
こうした甘いものは、疲労回復やストレス解消にも食べたりしますね。
つねに命をかけて戦った信長にとって、甘いおやつはリフレッシュのひとときをもたらしてくれたのでしょう。
体に良い焼き鳥やアワビ
そのほか信長はツルやキジの肉を焼いた「焼き鳥」も好きで、なかでも「みそ味の焼き鳥」をよく食べていたそうです。
自力で捕った鳥を調理して客人にふるまうことがありましたので、自分で鳥を焼いて食べたこともあったでしょう。
またアワビの蒸しものもよく食べていたようです。
このふたつの料理が好物だったのは味もさることながら、健康面での理由があったからともいわれています。
とり肉には関節の痛みをやわらげる効果、アワビには疲労回復の効果があるためです。
信長がこれらの効用を学問的に知っていたかどうかはわかりませんが、効果を実感し積極的に食べていたのかもしれません。
しょっぱい味が好み
料理の味つけでいえば、しょっぱい・濃いものが好きだったようです。
あるとき信長が雇用しようとした料理人に対し料理を作らせてみた際、信長は「水っぽくてまずい」と腹を立て料理人を処刑するよう命じました。
料理人が「もう一度作らせてください」と信長に頼み込み2度目の料理を作ったところ、信長は大満足してこの料理人を雇ったといいます。
これは最初の料理が上品な薄味の京料理、2度目の料理が田舎風のしょっぱくて濃い味つけにした結果でした。
信長がそうした味を好んだのは、食べ慣れた郷土の味というだけでなく、いつも鍛錬や戦いで体をよく動かしていたからでしょう。
発汗により体内の塩分の消耗が激しいため、多くの塩を食事でまかなう必要があります。
無意識に体がしょっぱい料理を求めていたのかもしれません。
織田信長は効率の良い食事をとろうとしていたのか、湯漬けのように手軽に食べられるものや、とり肉・アワビといった健康的なものをよく食べていました。
そのいっぽうで日々の戦いのストレスからか、干し柿や和菓子など甘いものが大好きだったり焼き味噌などしょっぱい料理が好物でもあったようです。
食に合理性を求めつつ甘党でもあるアンバランスさが人間らしいですね。