10人の話を同時に聞いた聖徳太子。超人伝説の真相とは
聖徳太子像(彫刻『鵤(いかるが)に祈る』より)
「10人の話を一度に理解した」というエピソードで知られる聖徳太子。
さらには10人どころか36人の話を聞き分けたという説も存在します。
いっぽうで、本当にそのようなことができたのかどうか疑問をもつ人が多いのも確かでしょう。
今回は聖徳太子の超人的な逸話について、彼の名前との関係性や能力などを踏まえながらその真相にせまります。
8人の話を聞き分けた
聖徳太子は10人の話を同時に聞いて、すべて理解する驚きの能力を見せたといわれています。
ただし、その聞き分けた人数については諸説あるようです。
ひとつめは8人説。
幼いころから賢く、一度に8人の話を聞いて対応した。
そのため厩戸豊聡八耳命(うまやとのとよとやつみみのみこと)という
(『上宮聖徳法王定説』(じょうぐうしょうとくほうおうていせつ)より意訳。9~10世紀ごろの伝記)
8人がいっせいに話をした。
聖徳太子はひとつひとつを理解して的確に応じたので、みんな納得して問い直す人はいなかった。
そのため厩戸豊聡八耳皇子という
(『上宮聖徳太子伝』(じょうぐうしょうとくたいしでんほけつき)より意訳。平安時代初期の伝記)
政治の会議の日、8人が一斉に声を出してそれぞれの主張を訴えた。
聖徳太子はそれらを聞き分けて的確に答弁したため、再び問う人はいなかった。
大臣はこれを称えて厩戸豊聡八耳皇子(うまやとのとよとみみのみこ)、または大法王皇太子などの名を献上しようとしたが、聖徳太子は辞退した
(『聖徳太子伝暦』(しょうとくたいしでんりゃく)より意訳。平安時代の伝記)
いずれの文献(現代語訳)でも、聖徳太子が8人の話を同時に聞いてそれらをすべて理解して的確に答えたということが記されています。
8人の話を聞き分けたため「八耳」という別名を与えられてもいたようです。
普通の人なら、複数の相手が口々に話すと「一度に話すと何を言っているのかわからないから順番に話して」と言いたくなりますよね。
ところが聖徳太子は同時に聞き分け、しかもその後に的確な返答をしたのです。
勢いあまって我先にと話をした8人も驚き、感心したことでしょう。
10人の話を聞き分けた
ふたつめは『日本書紀』などに登場している、もっともスタンダードな10人説です。
成長した聖徳太子は一度に10人の訴えを聞いて、すぐにそれぞれ的確な助言をした
(『日本書紀』より意訳。720年ごろ成立の歴史書)
10人が一度に訴えた言葉を、一言も漏らさず聞いたため、豊聡耳(トヨトミミ)という
(『日本霊異記』(にほんりょういき)より意訳。平安時代初期に薬師寺の僧・景戒が著した説話集)
厩戸豊聡耳皇子という名前は、王の厩(うまや。馬小屋)のもとに生まれ、10人が一度に訴えたことを一言も漏らさず聞き取ったため
(『三宝絵詞』(さんぽうえことば)より意訳。984年に源為憲が完成させた仏教説話集。)
これらの文献によると、聖徳太子はさきほどの8人より多い10人の話を聞き分けたと記述されています。
たくさんの人々の話を聞き分けたため、「豊かで聡い(さとい。感覚がするどい)耳を持つ」という意味の「豊聡耳」を付けた名前が太子に与えられました。
36人の話を聞き分けた
8人と10人では大差ないと思うかもしれませんが、なんと36人の話を聞き分けたという驚きの説もあります。
聖徳太子が11歳の時のこと。
聖徳太子は36人の子供たちと園中で遊んだ。
その時、聖徳太子は左右に2人ずつ侍らせ、左右に4人ずつ立たせ、さらに前に左右12人ずつ計24人を並ばせた。
子供たちが口々に志を話し始めると、聖徳太子はそれを聞き分け、一言一句間違えずに復唱した
(『聖徳太子伝暦』より意訳)
つまり36人が一度に話したのを聖徳太子は一語ももらさず聞き分けたというのです。
36人いえば、学校の1クラスと同じような人数になりますね。
1クラスの子供たちが口々に発した言葉を、先生が一言も漏らさず聞き取ったようなものです。
まさに驚きの能力といえますが、このときの聖徳太子はわずか11歳でした。
すでに子供のころから並はずれた能力をもっていたようです。
当時の人々はこの特殊能力に驚くいっぽうで疑いもしました。
子どもたちの口から聖徳太子の凄さを知った親たちが、わざと難しい言葉を子どもたちに言わせてみたのです。
太子はそれも聞き分け、きちんと復唱しました。
親たちも能力が本当だったと驚いたに違いありません。
真相①豊聡耳皇子という名前の関連
8人・10人そして36人もの話を聞き分けた逸話を紹介しましたが、はたして聖徳太子は実際に大勢の人の話に受けこたえできたのでしょうか。
まずは聖徳太子の超人エピソードと関係の深い名前をみてみます。
聖徳太子は、複数の人の話を同時に聞き分けた能力によって、豊聡耳皇子または八耳皇子と呼ばれていました。
しかし実際はこの逆だったという説があります。
名前に「耳」の字が入っていたため、後世で「耳が良い」という伝説が生まれたというのです。
じつは古代には「耳」の名前がつく人は何人もおり、珍しい名前ではありません。
「ミミ」という単語は「耳」の意味ではなく、もともと男性の尊称でした。
漢字の当て字として「耳」という字が用いられただけで、「ミミ」には「美美」などの漢字も使われていたようです。
豊聡耳皇子の「ミミ」も男性の尊称で、「耳」が良いから名づけられたわけではなかったわけですね。
たまたま「耳」の字が当てられました。
後世の人は「豊かで聡い耳」という名前から、聖徳太子は耳が良かったのだろうと考えます。そこから10人の話を聞き分ける伝説へと発展したようです。
真相②記憶力のスペックが優れた聡明な人
今度は聖徳太子のスペック(能力)の面からみてみましょう。
10人の話に受け答えをするのは、凄い能力ですよね。
その能力を詳しくみると……、
- 複数人が同時に発した言葉を聞きわける、すぐれた聴力(または頭脳)
- それをすべて覚えてアウトプットできる、並はずれた瞬間記憶力
これらふたつに分解できるでしょう。
まず、ひとつめの聴力について。
「カクテルパーティー効果」を知っていますか?
騒がしい場所であっても、聞きたい内容、あるいは特定の人の声を選び取って聞く脳の働きのことです。
多くの人が雑談しているにぎやかな場所でも、自分の名前や知人の名前か出ると思わず耳に入ってくることがありますよね。
人間は集中力、注意力を使って他の音を遮断し、自分の聞きたい音だけを選んで聞いているのです。
このカクテルパーティー効果を応用すれば、3、4人が話している内容は聞き取れるかもしれません。
しかし聖徳太子のように10人、36人の話を聞き分けるのは難しいというのが一般的な見解です。
もうひとつの記憶力について。
有力な説として、聖徳太子は実際のところ複数人の話を同時に聞き分けたのではなく、順に聞いたあとで各自に助言していたようです。
耳がすぐれていたのではなく、瞬間的な記憶力、理解力、判断力にすぐれた聡明な人物と考えられています。
順に人々の話を聞いたうえで、まとめて人々を納得させる発言をした優秀な為政者という説も。
こうした記憶力を含めた聖徳太子の特性に「豊聡耳」という耳の良さを思わせる名前が重なって、たくさんの人の話を聞き分けたという伝説が生まれたのでしょう。
最高の聞き役でもあった聖徳太子
もともと聖徳太子は人の話を聞くことを大切にしていた人物です。
太子が定めたともいわれる憲法17条。
この第1条では「話し合いを大切にしていさかいを起こさないこと」を説いています。
第17条では「物事をひとりで判断せず、みんなで議論して判断すべし」。
続いて「国家の大事は独断では判断を誤るかもしれないので、みんなで議論すること」とあり、役人が独断しないよう忠告しています。
当時、聖徳太子は天皇を中心とした中央集権国家を造ろうとしていました。
その出発点で専制政治ではなく、人々の意見を聞くことを大切にしていたのです。
10人の話を聞き分けるという逸話でもわかるとおり、太子自身ふだんから積極的に多くの人々の話に耳を傾けていたようです。
こうした「聞き役」に徹する姿勢も、この超人的な伝説を生み出す要因になったのかもしれません。
聖徳太子は10人どころか36人の話を聞き分けた伝説も持つスーパー超人とみなされています。
ただ実際には、話を理解して的確な対応ができる聡明な人物という説が有力であり、他人の意見にもしっかり耳を傾ける為政者だったようです。
現代は集音分離などの科学的なアプローチで、ある程度は複数人の話を同時に聞き取ることも可能になりました。
とはいえ聞き取ってすぐ理解して的確な助言や対応ができるかどうかは別問題でしょう。
やはり聖徳太子は、ずば抜けた偉人だったのだと思います。