恋愛経験ゼロの吉田松陰とある女性の出会い。思いをつなぐ5つの歌

野山獄跡

吉田松陰は松下村塾では生徒から慕われ、彼もまた生徒へ深い愛情を注いでいました。
いっぽうプライベートでは妻はおらず生涯にわたって独身で、恋愛経験はなかったようです。
しかし松陰にはひとりだけ愛情を注いだ女性がいたという話もあります。

恋愛にまったく縁がなかった

松陰の恋愛事情については、妹の千代が明治時代の雑誌『日本及日本人』の中で語っています。
彼はずっと勉強ばかりの生活で、色恋沙汰にはまったくといってよいほど縁がなかったとのことです。

幼いころから机に向かって本を読んだり物書きをし、同年代の子どもと一緒に遊んだりはしませんでした。
青年になってもそのスタイルは変わらずで読書のほかに趣味はなく、お酒は飲まないしたばこも吸いません。
まして女性と恋仲になったなんて、千代は一度も聞いたことがなかったそうです。

周りからそろそろ結婚したらどうだという話も挙がってきていましたが、そのころ松蔭は全国へ遊学中。
帰ってきたかと思えば投獄され…。
いつの間にか誰もそんな話をしなくなってしまいました。

獄中での「高須久子」との出会い

しかし妹の知らないところでたったひとり、親しい仲になった女性がいます。
松陰が野山獄に投獄されていたときに出会った、高須久子という人物です。

彼女は名家である高須家の跡取り娘で、三味線の名人としても知られていました。
若くして旦那と死別をし、寂しさを紛らわすために三味線を始めたそうです。
しだいに同じ三味線弾きの男性たちと仲良くなっていきますが、当時は身分の違うもの同士の交流は歓迎されず、父親から関係を断つように言われます。
しかし久子はこれに猛反発。
「普通の人たちと普通の交友を持ったまで」と主張する彼女に対し父親は藩からも説得するよう要請しますが、藩にすらも反発したため投獄されることになりました。

松陰はそんな彼女の心意気に魅力を感じたのか、同じ獄中の身として仲良くなっていったそうです。
ふたりの関係を直接的に証明するものはありませんが、松陰が野山獄を出るときに久子が送った歌が残っています。

鴫(しぎ)立って あと寂しさの 夜明けかな

鴫とは松陰の別名「子義」とかけた言葉といわれています。
普通なら牢獄から出られるのは喜ばしいことですが、彼女にとっては寂しいことだったみたいですね。

遠距離で詠み合った3つの歌

松陰が安政の大獄によって江戸へ送られることになった際、久子から1枚の手布巾(てふきん)が贈られてきました。
松陰はお礼の歌を詠みます。

箱根山 越すとき汗の い出やせん
君を思ひて ふき清めてん

箱根山を越えるときは、きっと汗も出るだろう。
そのときはこの手布巾で君のことを思いながら、汗をふき清めよう。
・・・松陰の思いをストレートに表現した歌ですね。

そして久子はこんな歌を返します。

手のとわぬ 雲に樗(おうち)の 咲く日かな

私にとってあなたは雲の上のような手の届かない存在。
立派な人をたたえるかのように栴檀(せんだん)の花が咲いています。
・・・樗とは栴檀の花のことです。
松陰を雲のような存在と例えながら、自分はちっぽけな花であるといっています。
お互いのことを対極的に表すことで、久子の松陰に対する届かない思いを詠んだんです。

さらにこの歌への松陰の返歌があります。

一声を いかで忘れん 郭公(ほととぎす)

私は決してあなたの元へは帰ることはできません、ですがあなたの声をどうして忘れることができるでしょうか。
・・・郭公とは松陰自身のこと。
中国の故事成語では「ほととぎす」は「不如帰」、決して帰ることができないという意味になります。
松陰にとって久子はとても大切な存在だったことがわかりますね。

本当に恋愛関係にあったのか

松陰と久子が恋愛関係にあったのかどうか、本当のところはっきりとわかっていません。
久子は恋人ではなく、あくまでも友人だったという説もあります。
あまりにも女性の影がない松陰の人生をみて学者たちが「こうだったら面白いのに」と都合良く歌を解釈したのでは…と主張する人もいるくらいです。

前述の歌を友人に送られたものと解釈しても、たしかに違和感はありません。
千代が松陰の人柄について「誰にでも親切で、相手を気遣う人物」と評していることからも納得はできますね。
ただ歌を詠みあう仲というのは親密な関係であるのも確かです。
恋人説と友人説、どちらにもそれなりの信ぴょう性があるといえるでしょう。

そんななか2003年に、松陰が亡くなったあと久子が詠んだ歌と思われるものが発見されました。
松陰の門下生である渡邊蒿蔵(こうぞう)の遺品から発見された茶わんには、こんな歌が書かれています。

木のめつむ そてニおちくる 一聲(せい)ニ
よをうち山の 本とゝき須(ほととぎす)かも

木の芽を摘んでいると、一声が着物のそであたりに落ちてきたように聞こえた。
その声の主は宇治の山のほととぎすかもしれない。
・・・ホトトギスの声、つまり松陰の声が聞こえたのかもしれない…という歌です。
一聲とは一声のことなので、この歌は松陰が最後に送った「一声の~」に対しての返歌と考えられています。

この歌は久子が69歳の時に詠んだものです。
ずっと松陰のことを思い続けていたんでしょうね。
少なくとも彼女にとって松蔭は恋人に近い存在だったに違いありません。

吉田松陰は生涯にわたって恋愛をほとんど経験しませんでした。
高須久子という女性と親しくなったくらいです。
それも恋人として仲が良かったのか友人のうちの1人だったのかわかっていませんが、久子の松陰に対する思いは本物といえるでしょう。

この記事を書いた人

歴史スター名鑑 編集部

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